今日は久々に静かな休日として外を長時間散歩して考えていた。ここ最近はラスベガスに行ったり、Big surに行ったり、オフィスに行ったりと、かなり動で充実した毎日を送れていた一方で、Tax returnや日本帰国の飛行機、ビザにまつわる手続きなど事務作業でかなり脳が疲れていた。会社のReorgやウクライナで戦争が始まり、そうした情報などで無意識的にもストレスが掛かっていた。
ただこうしてゆっくり休んで、改めて感覚に身を任せて静かに抽象的・未来的な思考するのもまた幸せであると実感した。日々忙しい毎日を送っているとどうしても自分の軸やビジョンを見失ってしまう。そうなると安易な刺激を求めて擦り減った生き方をしてしまう。
今回認識したのは、自分を作っているのは改めて「感覚への興味」だということ。そして人生をかけて成し遂げたいことは「感覚の拡張」であるということだった。医学部を出たことや今UnityでPMとして働いていることがどう繋がっているのか考えると、「感覚の拡張」には大きくふた通りのアプローチがあると気づいた。InternalなものとExternalなものである。Internalなものは、人体そのものに働きかけて感覚を変容したりアップデートしたりするもの。Externalなものは、あくまで外部的に人体に働きかけて感覚を拡張するものである。
Internalなものはまさに医学やBioengineeringであり、この10年間意識的にも無意識的にも医学的な知識をどうやってこの分野で活かせるか苦心していた。チルや共感覚といった表現するに近しいテーマは見つかったが、具体的にじゃあどうやって実現するのかというルートが見えず、「幻覚剤を用いた新しい体験」の可能性は感じたが、それも今現時点でどうにかなるものではないと思った。
ExternalなものはAR/VRであり、情報の2D→3Dは大きく人に影響を与えると直感した。もちろん聴覚や触覚的なアプローチもあるが、やはり人の体験に与える影響は視覚が大きい。その視覚が今2Dの情報しか扱えずに人々は生活を送っているというのはどうしてもおかしいと感じた。そしてベイエリアのテクノロジー企業は多くの投資を行なっており、向こう数年とはいかなくても10年以内には大きな波が訪れると確信した。
ただ難しかったのがこの説明で、InternalとExternalなアプローチはあまりにも専門知識が違い過ぎて説得しづらかったのだ。そしてまたどちらも明日実現されるようなものではなく、長期的なビジョンの下の技術であるため、今起業というアプローチも取れなかった。ただ、かなりエキセントリックな方法でUnityに入れたことはそこを繋ぐ強固な橋を作れたと思っている。個人的に安心したのはInternalなアプローチもExternalなアプローチもどちらも高いレベルで取れるようになったということだ。ある種のヘッジとして「感覚の拡張」を追求し続けることができるという安心感である。
そんなことを考えながら土曜日の昼下がりまったりと過ごしている。