台風の時期が来た。湿度が高すぎて全くチルじゃない。不快指数が高い。僕はチルに取り憑かれている。どこへ行くにしても、チルな要素を求める。
そんなことで今日は
“なぜチルが必要なのか?”
という問いに答えたいと思う。
まずチルとはchill outの意味であり、ざっくり「快適であること」といった意味だ。
なぜ今、チルが必要なのか?
雑多にまみれた思考を抽象化してシンプルにするため
だと思っている。
世の中はどんどん便利になっている。東京にいると、新しいレストランやカフェは連日のようにオープンするし、チームラボやディズニーなどのコンテンツにも事欠かない。勿論スマホの普及も大きくライフスタイルを変えた。
これらによって起こっているのは、情報量の急激な増加だ。便利になっている一方で、僕らが日々の生活に疲れ切ってしまい、集中できなくなっている理由はこれに尽きる。
どう対処すればいいのか、という話だが、2つある。
- 情報を制限する
- 情報を抽象化して軽くする
1に関しては、高城剛が言うように、スマホなどの電子機器を置いてどこかに行ったりする時間を設けることだ。ただ、正直これにはどうしても限界があると思っている。ある程度情報を入れないと、社会にはついていけない。そしてそのための情報があまりにも早く移り変わってしまうという残酷な現実があるからだ。
というわけで僕は、2の扱う情報をできるだけ軽くする(圧縮する感覚)ことを日々求めている。
なぜか?
体に負担をかけないため。そして、抽象化することにより新しく見える視座があるから。
抽象と具体や、考え方については次回に詳しく書こうと思う。
今回はなぜチルと関係があるのかということだが、「身体的に負担がある状態では情報や思考の抽象化はかなり難しい」というのが僕の仮説だ。
抽象化というものは、物事の本当にピュアな本質と向き合うことであり、無駄なものを削ぎ落として考えて行くことだと思っている。日々の作業やうるさい環境下においては、脳がそうしたことを考えるモードにはならないのだ。
チルというものは、雑多な情報から脳を解き放ち、抽象化状態におくのに必要な条件だと思っている。その状態に入った時に、色々な情報が結びついて一つの知恵のような形に結晶化するんじゃないかなとか思っている。
例えばだが、自分で考えるや友人と抽象的な話をする時、僕はホテルのバーへよく行く。
なぜかというと、ホテルのバーはわきまえた人が多いため、音量なども抑えられている。そして特に最上階のバーだと、視界下にビルなどを見下ろすことが出来、情報量を落とせる。そのため、ピュアな本質にフォーカスできるということだ。スタバとかもチルなスペースであるが、夕方など人が入ってくるとどうしても情報量が増えてしまって抽象的な思考には向かなくなる。
また、良くアイデアを歩いている時とか風呂に入っている時に思いついた、という話を聞くが、あれも結局はチル環境下にて、脳が抽象化状態にあり、今まで吸収して来た情報たちが結びついて創造性に結晶化したんじゃないかな、とか思っている。
フローという概念がある。
人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚
フローは適度のストレスと適度なリラックスを同時に味わったときに入れる。チルと非常に関わりが強い気がする。今の世の中、ストレスがかかることが非常に多いために、フローをもたらすために、リラックスする場所や間が必要なのだ。
人々の思考の抽象化を助ける意味でも、将来的にチルなスペースを作りたいなとか思ってたりする。