再び待つ時期に入ってしまった。
何かを書くということは面白いことだ。こうしてずっと書き続けていると、自分の中のモチベーションが行動や文章にもたらす違いがわかる。
昨日の文章は、3週間開いてしまったからそろそろ書こうと思って書いた文章であった。今日はふと文章を書きたくなった。外的なモチベーションと内的なモチベーションの違いである。
外的なモチベーションはある程度予想できるものだ。内的なモチベーションは全く予想できない。その時、そのタイミングで文章にするしか無いのだ。
僕は今、暖かな晴れた日の午後にアイスコーヒーを飲みながら、水源を読み、この文章を認めている。
また、待つという時期に入ってしまったなという感覚を残しておく為に。
自分の中の信念に沿って生きていると、常に波が存在する。波に乗っている時はそれはもう無敵であるかのようにまわいの物事が動いていく。一方で、停滞期には死んだように待つしかなくなる。僕は18で医学部に入ってから、自分の信念にそぐったものを中々見つけられず、もがき続けてきた。それはとても苦しく、精神がすり減るものであった。けれども、なんとか諦めずに前へ前へと進み、ダブルダッチでのApolloやベイエリアのMBAに辿り着くことができた。振り返ってみると、綺麗な業績であるが、それに至るまでの数えきれない悩みや苦しみ、孤独感、不安感などと一緒に生きてきた。
そんな中でも、去年の5月あたりからは、ビジネスの世界で上司にも恵まれて仕事を学び、Berkeleyへの留学も決まり、Product Managerという指揮者のような自分に合った職を見つけられるなど、中々流れとしては良かった。この流れは、10月くらいまで続いていた気はする。
MBA/MEngで元々学んでみたかったBioengineeringを専攻に加え、Adobeを目指している時は、ある種フロー状態に入り、自分の努力(あまり努力という言葉は使いたく無いが、、)がきちんと跳ね返ってきている状態であったと思う。ただその後からはかなり雲行きが怪しくなる。周りとの比較が始まる就活戦争に巻き込まれ、コロナショックによるオンライン化にて、全く物事が進まなくなった。なんだろう実際はアカデミックとかで進んでいるのだろうけれども、直感的には完全に停滞している。Nianticという理想の会社を見つけることが出来、CEOや上級職へのアプローチも出来ているが、次に繋がる手がかり、前兆が全く掴めていない。そう今、書いていて思ったが、前兆が全く掴めなくなってしまったのだ。
前兆というものは、外的な結果に自分の内的な部分が反応して形成される。今、その外的な結果が全く訪れず、内的な部分も疲れてきてしまっている。丁度先ほど余裕ができたので、水源を読んだ。最初に事務所を開いて、1年程無職になり、挙げ句の果てに銀行の大きな案件を自分のこだわりからおじゃんにしてしまうハワードロークのシーンを振り返った。
「また待つ時が来たのだ」
待つのは辛い。不確実だから。けれども、自分に素直に生きる為には、「待つ」ことを乗り越える必要があると思っている。
少し待ってみる。