あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

4週間の日本滞在が終わった。SF行きの便の中で書いている。この4週間色々キツかったが、色んなことがあった。3日間の政府強制隔離に始まり、2週間の自宅隔離、多くの友人との食事や仙台や京都といった小旅行、健康チェックに親戚との関わり、正月文化の享受など濃密な出来事があった。そして最後に名古屋で将来結婚するかもしれないと思った子と出会ったりなどした。

感想としては、やはり日本は安心安全で食事も美味しく人も優しく、「仕事」以外の全ての面では世界トップクラスの国なのだなと感じた。言語も違い、常に不穏で不確実なUSから帰国した自分としては、これはあまりにも居心地が良すぎるというのを改めて実感した。そして、このコロナ禍で外国人の入国が実質的に禁止されていることもあって、京都のような観光地は空いており、美味しい飲食店も比較的入りやすく、さらにその住みやすさが増したのではないかと感じた。

そういうところに一度浸かってしまうと、どうしても抜け出せなくなる。USで良い職を得て、パロアルトという素晴らしい場所に住んでいるこの僕でさえ、日本から戻りたくないという強い気持ちを抱くくらいなのだ。これは去年も全く同じように感じたことでもある。

日本もまあビジネスや政治に関しては不満を垂れる人もいるが、皆がこうして日々平和で安全、しかも低所得者にも優しい価格設計の生活を享受しているのを目の当たりにすると、「何故僕は戦い続けてるのだろう」と思ってしまう。自分の自我や夢に向かって進むのは尊いことではあると思うが、幸せになることと同値ではない。むしろ失敗や拒絶によって幸せ度は平気でマイナスになりうる。僕の留学してからの数年間がまさにそうであった。人生の目標を「幸せ」におく場合、どう考えても30歳を過ぎてからリスクを張ったり、新しい挑戦をする合理性がないなあとしみじみと考えることが多い。ただ僕は「幸せに成功したい」と思っている。幸せなだけでは成功ではない。成功というのは自分のやるべきことを貫き、社会に価値を出すことであると思っている。そのためには、短期的には「幸せ」を犠牲にするのもやむを得ない、と思っている。

一方で日本で話す30代を越えた友人たちと話す中で、驚くべきほど皆ビジョンもないし、リスクも取っていないなとも思った。もちろんこの歳になってきて良いポジションにつくようになってきているのだけれども、10年後どうなっているかが分からない楽しみな人はどんどん減っていた。まあ日本の中で成功していくのだろうが、一度世界に出てしまった自分からすると全くもって魅力のないビジョンなのだ。そうした人たちは日々の生活では驚くことに充実していることが多かった。結婚したり子供が出来たりとすることは良いことなのだが、それにより不確実性に挑戦する姿勢が失われていくことはとても残念に感じた。

最後に名古屋で出会ったHarukaという子のことを書いておこうと思う。僕が女性のことを書くのは殆どないが、今回は今後の転機に繋がるかもしれないと思ったのだ。ぶっちゃけた話マッチングアプリを通じて偶然知り合ったのだが、年末年始と2回名古屋まで新幹線を通じて会いに行った。メッセージの第一印象から品が良く、一緒にいて安心する系の子であり、感覚として年末に書いた僕の求める女性像に極めて近い子であった。何より、顔が似ているというのが最大の特徴であった。僕には幸せな結婚をするのは顔が似ているカップルであるという仮説がある。遺伝子が離れた個体同士が引き合うとはいうが、社会的な生き物である人間は似た顔や価値観などを共有した方が社会的に幸せになれるのではないかと思っている。僕の場合、価値観は意外と保守であり、かつバックグラウンドもめちゃくちゃなので、ドンピシャのタイプが現れることは少なかった。そのため、今まで顔が良い子と付き合ったり遊んだりはしてきたが、長続きすることはなかった。けれど、今回2日間Harukaと一緒にいて、この子とならきちんとした家庭を気付いて幸せになれるかもしれない、と人生で初めて思った。

オミクロン株が増大する苦しい滞在の中、幸せへの希望となる前兆が最後に飛び込んできて、今もかなり精神的な動揺を感じている。ただまあ、こうして次いつ帰れるか分からない渡米を一人行っている状況から、なかなか人生もすんなりと行かないものだと感じている。「幸福」もまた、「成功」と同じく試練を課してくるのだ。

そんなわけで2021年末/2022年始の日本滞在は、想像以上に負担が大きく、結局精神的にも身体的にもゆっくりすることは出来なかった。けれども、そこで得たいくつかの大きな前兆・希望を持ってベイエリアに帰っているのもまた確かである。

Maktub

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です