さて今日で成田隔離も最後の日となる。生活は依然昼夜逆転しており、1週間も換気もしない部屋に閉じ込められるのは本当に憂鬱になるが、こうしてそうした苦しい日々を綴っていくことには価値があると思っている。苦しみは風化しやすく、その最中にこそ語る価値があるからだ。後々快適な状態から振り返った時に、苦しみは常に美化される。ただその際には、「そこから抜け出したい」という強い現実感は抜け落ちてしまっている。結果「あの苦しみがあったから強くなって今がある」というある意味では反面のみを捉えた話になってしまう。もちろんこれが間違っているというわけではないけれども。

そんなかんなで地獄のような1週間を過ごした。詳細は前回の記事に書いたが、もちろんコロナの症状プラス昼夜逆転して働くキツさもあったが、一つの狭い場所に留まっていることによる思考の制限が僕にとってはきつかった。気分転換ができないが故に、思考のデフレスパイラルに嵌まりやすい。人間いついかなる時も、不確実性やら細かい失敗やらと共存しているとは思うが、それを酒を飲んだり友人と語らったり、天気の良い日に外を散歩して忘れたりする技術がある。ただ、一つの部屋に閉じ込められていると、そうした気分転換が出来ず、悪い方へ悪い方へと考えてしまう。身体的環境が鬱を作り出すとはありうることだと思った。

昨年夏に、ハワイのコンドに滞在している時もそうした感覚を味わった。あの時は17階という比較的眺めは良い場所に住んでいたが、どうしてもタワマンは下まで降りるのに時間がかかる。そして市内まで歩いていくのにも時間がかかる。その為に外出が億劫になって、主にずっと部屋で過ごすという生活スタイルになってしまったのだ。それに就活の失敗が輪をかけて、メンタルを無意識的に蝕んでいった。漸くあの時のトラウマも癒えてきた気もするが、今回のコロナによる隔離もそうした苦しみを想起させた。

変えられない環境下で人と会えず、気分転換も出来ずに、かつ多くの不運や失敗が降り注いでくると人は容易にメンタルをやられてしまう。リモートワークによる生産性の向上は一方で身体性の欠落を産んだ。その為そうした挑戦に対する拒絶を上手くいなすことが難しくなった。僕がパロアルトに移住したのは、身体性と天候による快適度であった。もちろん少し歩けばStanfordのPalm Treeが生い茂るキャンパスがあり、治安は良く、天気が良いので、物価を除けば生活を快適に送れる。それにより、挑戦の失敗を安らいでくれるのだ。シリコンバレーが成功した理由は多くあるが、僕はこの失敗してもまあ天気も良いしいいか、という穏やかな性質は一つ影響しているのではないかと思っている。

ただ、現実は天候は変わらないが、人との付き合いや常時接続性など、身体性は欠落し続けている。その際に以前の起業家たちが行ってきたような今ここにない大きなビジョンを信じ抜き戦う、ということがどんどん難しくなってくる気はしている。それよりも今の20%くらい良い合理的で競争有利的なゴールを目指す方が楽でストレスが少ないからだ。

とは言っても、物事はどうにもならない。こういう時は文章を書き、10年後の未来に思いを馳せ、見えない力に期待することにしよう。少なくなった日本滞在を楽しみ、また無事にUSに帰国できることを祈って。

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