San FranciscoからMontrealへ向かう飛行機の中で書いている。偶然なのだが仲の良い友人がマギル大学に留学しており、また職場のOffsiteがあるとのことで二つの用事からモントリオールを訪れることになった。世界中広い中からこうして二つの出来事がカナダの一都市に集中するという偶然はまた面白いものである。モントリオールはケベック地域でフランス語圏であることもあり、北米大陸ながらヨーロッパの文化を持つ特殊な位置付けで、とてもワクワクしている。
3月はかなりしんどかった。Reorgから始まり、それに伴ったKickoffやとあるプラットフォーム向けのローンチ準備が重なり、会議に次ぐ会議、大量1on1のという脳が焦げるのではないかというくらいの負荷をかけた気がする。リモートワークは効率性を増すが、その分脳への負担も大きい。昔は9-5時といっても、会議の間の休憩や息抜きもしやすかった。それがトイレ休憩すらないまま集中し続けなければならない環境はかなり大変だと感じている。これはバーンアウトが増えるわけだとも思った。
9月に就職してからというものかなり濃密に多くのことを吸収してきた。これまでろくな社会経験がない僕に取っては、とても貴重な成長の機会でもあるので本当に救われた感じはしている。一方で今の自分の実力を100とすると感覚250くらいのことをやる必要もあるので、体には負荷がかかっているのが分かる。休日休んだくらいで取れるプレッシャーや精神疲労ではないのだ。
世の中には生きるのが上手い人がいる。それは自分の実力100に対して120程度の機会を得てそれを達成し、成長していく人なのではないかと思う。そこまで異常に高い目標でもないので、負荷も少ない。また低すぎもしないので充実感にも溢れる。そして社会的にも評価を得ることが出来る。こうした人たちと話すと羨ましいと思うこともあるが、もはや自分には出来ないことだと切り分けて考えるようになってきた。ずっと書いてきたが僕はかなり自分の理想に対して頑固だが辛抱するタイプの人間である。そうした理想に関して社会は全くもって無関心である。なので、自分の今の実力に対してちょっと上の機会が入ってくることは完全にランダムなのだ。上手く行けばそうしたものを選択できるが、基本より多くを求めてしまうと、200のようなものを引いてしまうことがある。理想主義でいくとそうしたものがスコープに入ってしまうのだ。それだと思って突き進むと苦しみを味わうことになる。
まあただなんだこうした生き方も起業家的でありなのかなとも思っている。ダメージも大きいが達成した時のリターンも大きい。現に今回も乗り越えれば他の人が5-10年かかることを1-2年で達成できることとなる。そうした得られるものと犠牲にするものをバランスしながら生きている人生なのである。