ついに長いトンネルを抜けて働き始めた。コンシューマーゲノムのスタートアップとモバイル3Dスキャナーのスタートアップだ。多くの面で自分の至らなさを認識し、どうしてもっと早く飛び込んでいなかったのだろうと後悔する一方、今やれている事にIt feels rightしており、とりあえず8月末まで良い機会を得られた事に感謝している。

振り返ってみれば、多くのトランジションを繰り返してきた。先ほど30分ほど、2013年でダブルダッチをしていた時からの変遷をGoogle Calendarで見ていたのだけれど、多くの波を乗り越え、時に凪の時期があり、今に辿り着いたことを再認識した。

ダブルダッチでNYに行ったのが2013年末、そこからCBT/OSCEがあり、2014年は夏にVIAで初めてStanfordに長期滞在した年だった。思い返せばそこから5年で留学でまた戻って来ることが出来たのだなとしみじみとした想いになった。ダブルダッチも終わり何をしようかなと考えていた5年の頃だった。年末あたりからデザインスクールに通う事になり、医療でも米国留学は叶わなかったが、台湾に1ヶ月留学した。2015年夏はデザインについてとにかく学ぶ事に没頭した。実際その際にデザインスキルが開花したわけではないが、今でもそこで学んだことは間接的に力になっていると思っている。2015年冬クリスマス前まで商空間とWebデザインを学んでいた。ギリギリになって医師国家試験の模試を受けて偏差値29というとんでもない値が出て流石に焦ったのを覚えている。なんとか1-2ヶ月頑張って国家試験に合格し、再び西海岸とマチュピチュウユニを旅したのが懐かしい。

そして2016年4月から僕は臨床研修医として病院で働いていたのだ。今振り返ってみると、完全にパラレルワールドのような感じがしている。北里研究所病院で最初は腎内代・神経を2ヶ月回っていた。患者回診やルート採血、A穿刺などをしていたのだあの頃は。全く人生とは不思議なものだと思った。あの頃はとにかく得た知識を実戦に移そうとしていた。医者になることはIt didn’t feel rightだったし、かといって自分の天職がわかるわけもなくもがいていた。東大のバイオエンジニアリングの説明会に行ったり、Googleのインターンを受けては落ちていた。それでもハイポ病院と言うことで、周りに変人も多かったため居心地は良く1年目はなんとか乗り切れた。

2017年4月からは慶應に戻って研修医2年目として大勢の他研修医と共に働く事になった。反体制的な性格からか最初から対立していた。見てみると江戸義塾に行き始めたのはこの頃らしい。直感的にStanfordに行きベイエリアで働くことが自分の道であると考えており、父親が取っていたこともありMBAは自分にとって進むべき道なように見えた。最初はStanford Biodesignを目指していたが、Directorの池野さんと話してMBAの方がマッチすると直感した。それから6ヶ月でセカンドラウンドを目指した。慶應での研修は心を殺した。そこでの労働は正直言ってそこまでハードではなかったが、大組織で働くことは僕には合わず、医師として患者の診療をする事に興味を見出せなかった。なんとか3ヶ月の休職を取り、MBA受験に取り組んだ。

元々思考が飛びがちのこともあり、Stanfordのエッセイでは苦労した。What matters most to you, and why. Why Stanford. これらはずっと考えてきており、他の人よりも人一倍思いは強かった。けれども、それを論理的に言語化する事に苦心した。ワインが好きなことを論理的に説明するのが難しいのと同じように、直感ベースの意志を論理的に下ろして来る作業が僕はとても苦手なのだ。またGMATも当初は舐めて掛かっていたが、冷静に国語ができないと言う致命傷に気付き、点数を出すのにも苦労した。IELTSは20回、GMAT/GRE合わせて10回以上受験してなんとか出願最低レベル(いやそれ以下か、、)に達したのが2018年2月。既にセカンドラウンドは過ぎていた。それでも諦めずに奇跡は起こると信じて突っ込んだのが4月。1月から研修に復帰して4月が最後のローテーションの小児科であった。

今振り返るとなんて無謀な挑戦だったのだろうと思う。そもそも圧倒的に難易度の高いStanford GSB1校に低い点数、ローキャリアで突っ込むなんて常軌を逸している。それでも夢を諦めずに突っ込んで(まあ玉砕したけど)、道が開けたのは本当に良かった。もちろん失敗して、とりあえず旅にでも出るかとのことでまたベイエリア、エジプト、中東、バリなどに行った。一人旅は好きだ。ある程度プランを決めることもあるが、今日何を食べるか、どこに泊まるか、どこに行くかなど自由に決められる。時には追い込まれることもあるが、なんとか乗り越えて到達する楽しさがあるのだ。

そんなかんなで旅から戻ってきたのが2018年6月中旬だった。楽しかったが、具体的に何かが開ける兆しはなかった。チルサービスを作ろうとかがみや弟とトライしたが、ピンと来ることもなく、友人の神馬とブルゴーニュに行く計画を立てた。その時は共感覚的な美しさに見せられており、是非美しいものに触れたいと言う欲求があった。9月にヨーロッパに行き、その後共感覚のイベントを開いていた。そして12月4日に再びMBAを目指そうと決意し、JOMDDの経験、Berkeley入学と続いていくのだが、こう振り返ってみるとあまりにも直感に従い過ぎて来ており、それがなんとか社会との繋がりをこうして保てたことが奇跡のように思われる。

人と違うキャリアを歩むのが重要だと言われる。そしてそれは一見容易い。なぜならその時々で自分の直感に従っていれば良いからだ。自分の直感は人それぞれの個性を与えてくれ、それがキャリアに繋がる。けれども直感は時に論理に反し、説明責任や再現性と言う論理を求める社会と激突する。これを乗り越えるのは並大抵の精神力ではいけない。もちろん地獄のような退屈を味わったり、先行きの不安を味わう。そして今のような、周りと比べた自分の至らなさを感じることもある。それでも、自分の進むべき道を見出しここまで歩んでこれた事に感謝して、これからも自分にしか歩めない道を歩んで行きたい。

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