人間万事塞翁が馬と言い、幸福は得てして不幸に変わり、不幸は得てして幸福に変わることがある。
僕の場合、不幸は間違いなく「医学部を選んでしまった事」だろう。
元々は、自分の人体に関して知ることは好奇心を刺激することだったし、他の人には出来ない事だから何か将来差別化ポイントになるだろうと思って選んだ事だった。けれども、慶應医学部という日本では誰もが羨む学校に入学した2010年から10年間、この事実はひと時も休まず僕を苦しめてきた。医療は本当に僕の気質に合わなかったし、それにより多くの見えない鎖に縛られてきた。
当初僕は医学を好奇心で選んだ。けれども、実際の医療は想像以上に「利他的精神」が求められるものであった。僕は利他の心よりも、自分とは何かといった個人主義的な思想が強い人間であったのだ。もちろん臨床など出来ず、2年で辞めた。そして、元々考えていたビジネスに行こうと考えたが、想像以上に潰しが効かなかった。
医療ビジネスとなると、本当に99%が寿命の延伸、病気の克服にターゲットが置かれる。一人の人間がどう感じるかや、創造性を伸ばしたり、新しい事に挑戦する分野ではなかったのだ。もちろん、これが全部全くないわけではない。研究など新しい事に挑戦する分野もあるし、医師として創造的な人もいるにはいた。けれども、今のテクノロジーをはじめとする新しい分野に比べると圧倒的に創造性に劣っていた。というか何かを壊しアップデートする、反体制的、アート的な要素が欠けていたと言える。
その為理想を追い求め、テクノロジー業界に転身しようとした。ウェルネスをはじめとしたヘルステックの分野に関しては興味もあったし、文化がテックに近いので徐々に慣らしていこうと思った。
けれども、やはりそこでも求められる人材はテックのバックグラウンドであった。もちろん口では医療の知識は貴重です。というが、それ自体は、基本スキルがあってこそ光るものなのだ。僕の場合テック企業での経験が薄いため、そもそも基本スキルを満たすことができない。例えばヘルステックでのPM。一見すると医者上がりは重宝されるように見えるが、ちょっとヘルスケアの会社をクライアントに持った事のあるコンサルの方がJob descriptionを満たし、採用されうるのだ。これは結局「専門性」の致命的な弱点だった。「専門性」というと聞こえは良いが、そのほかに応用することができず、結果として極めて脆い。人生で3つの柱を持った方が良いという人がいたりするが、実際に一つあまりにも強い専門柱を立ててしまうと、他の柱を立てるのが極めて困難になる。
最終的に医学を学んだ人間はどうなるか。テック企業で就職することは難しく、結局医学知識を用いたポジションでしか活躍できなくなるのだ。僕の場合、なんとかMBAには入ったのでビジネスもわかるというアンカリングがされるが、基本は製薬会社、医療機器会社でのMarketing、Strategy、Medical Affairポジションになる。これらは、カスタマーやプロダクトから大きく離れるポジションで、自分をはじめとしたユーザーが求めるプロダクトを作りたいという自分のパッションから離れる。
これは大きな皮肉だなと思った。
人を相手にする医療のスペシャリストは結局人に近い分野に行けず、人の要素が薄いテクノロジー業界こそ人間のことを考えている。
入学前からやってきたジョブチェンジ対策ももう半年になった。まさに起業家が経験するような拒絶を体感している。36社Apply、20社Cover letter、5社Interview。あまりに拒絶が続くと人の精神はすり減り、自分に価値はないと思うようになる。一方で全部忘れて休もうと思っても、休むと医療業界に送られて死ぬという恐怖で頭が休まらない。このジレンマは想像以上に深く、解決策がない様に思われる。いわゆるデフレスパイラルといわれる状況で、これを打破するには良いニュースの訪れを待つしかない。それでも諦めることはしたくない。
「良いニュースというのは多くの場合小さな声で語られるのです」