昨日でMicrosoftでのPMMインターンも終わり、11.23からの2ヶ月にも渡る帰国も終盤を迎えている。この2ヶ月、世界はコロナで沈んだ気分になっていたし、USは停滞していただろう。僕自身は、少しでも好機を得ようと動き続けた2ヶ月だった。その為、疲労感も想像以上に大きかった。

MSでの仕事は想像以上に(想像していた通り)良かった。ちゃんとした会社のテックプロダクトを担当したのは今回が初めてだったし、一緒に働くPMMの人もとてもCollaborativeであった。そして何よりOfficeに行って実際に会う事が出来、そこから機会が広がったりした。

Teamsのヘルスケア戦略だけでなく、とあるIP(まだ伏せないといけない)との提携プロジェクトや、Mixed Realityにも噛む事が出来、正に自分から動いて機会を取りに行ったという感じだった。実際戦略策定のクオリティにも手を抜かなかったし、自分としてもバリューも学びも最大化出来たなという感覚がある。

そういう点ではとても充実していたインターンであった。勿論戻って来ないかと誘われた。

自分の苦しみのポイントはそこからにあるのだ。どうしても直感に基づくビジョンベースで人生を捉えている為に、一旦そこで落ち着き身を任せるという事が出来ない。大人しく周りともよろしくやれ、期待もされる場所で働けば良いのに、ビジョンを目指して暗闇に飛び込んでしまうのだ。そうしてその暗闇の深さも知っている。いや知りすぎている。

MSのインターン最終週に、面白いことにAdobe 3DのPMインタビューのInviteが来た。勿論嬉しかったし、これを物にできればMBA、いやそれまでに医学部からしてきた全ての苦労が報われると思った。けれども、実際に対策をして行くうちにインターンアプライや、医学部卒業後の無謀な就活に戻って来てしまったことを思い出した。

まともな場所に入れる器用さがないのだ

あまりにも人生を直感ベースのビジョンドリブンで生きすぎた。それが故に飛躍続きの肩書きで、具体のレベルで一貫性がない。それを説明するだけの言語力が追いついていないのをひしひしと感じる。

こう書くと「問題が分かっているなら解決すれば良い」となりそうなのだが、それが出来ないのが不器用なところなのだ。これが「読解力のなさ」なのかなんと表現して良いのかわからないが、幼い頃から一貫して続いている「僕の中の欠落」であるんだと思う。明らかに僕の中で「不得意領域」が存在していて、それが割と抽象度の高いレベルで存在しているが故に、修正が極めて難しい。更に抽象度を上げてメタのレベルからその欠落性をこうして俯瞰することは出来るが、それを修正するのは身体的に難しいというか長年積み重なってきた自分のスタイルを変えることであり、それはしていけない(出来ない)事だという認識がある。

ただ問題なのは、「それが出来ないと明らかに社会に入って行くことが難しい」ということだ。

そうした問題と悩まされながらも、なんとか折り合いをつけて生きていければ良いのだが、それが出来ずに狭間に落ちてしまう。その恐怖も知っているし、そこに落ちるまでの痛いほどの拒絶は、崖の上から飛び降りて何度もぶつかってすり減りながら底に至るという感覚なのだ。これが一発の勝負で、負けはい終了で次!という感じならその度重なる拒絶の部分がないので受け入れられる。

こうしてまた来週からUSに戻って行くわけだけど、この作業をもう一度やるのは本当にしんどいし、自分の中で体が動くのかという不安がある。あまりにも上記のような痛みを感じすぎて、精神的な痛みをある種身体的な痛みとして感じるような感覚があるからだ。幸運なことに去年の6月からそれを味わってはいないが、トラウマのように僕の身体感覚に刻まれているのは確かだ。睡眠時間は10時間取っていたとしても、自分の無意識領域からこの恐怖が消えたこともなかったし、悪夢などで蘇って来たこともある。

ただそれと向き合わないと、人生を進めることも出来ないのだ。なんというエゴの強さだと自分で辟易とすることもあれば、行くも地獄、引くも地獄で、どうしてこうなったという絶望感もある。

まあそれでも希望を持って進んで行かねばならないのだ。

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