また文章を書いている。

今回は3月末の何の変哲もない朝である。昨日から冷たい雨が降っている。外は曇り、Gloomyな1日である。まさに自分の今の状況を映し出しているかのようである。

物事が行き詰まっている。

今働いているスタートアップでの仕事は特にOKなのだが、今後進めるべきビジネスに関してだ。何故だかわからないがここ半年以上、かなり焦っていた。多くのことをこなすにあたっても常に頭の片隅にあった。

自分はこのままで良いのだろうか?早く自分のビジネスを立ち上げて米国に戻らなくては。きちんとユーザーに愛されるものを作り、稼がなくては。というプレッシャーが次から次へと押し寄せてきていた。多分2022年の時からの落差、天国から地獄への転落によるトラウマもあるのだろう。

あの頃は自分の人生のピークだった。過去に執着することは良くないが、ふとした時にあの時の波を掴んでいた時代を思い出すことがある。あいにくそれは短いものであったが。Google calendarを見ていたが、Unityで働き始めた2021年の9月からレイオフ通知が来る6月までは人生のゴールデンタイムであった。ベイエリアでPMとしてGlobalに活躍していたし、友人たちにも恵まれ、各所を旅していた。ドライブしたBig Sur、ラスベガスやサンディエゴなど、最高の時だった。日本に帰ってフィアンセも見つけ、家族とも再会した。コロナ禍ではあったが、2019年から続いてきた度重なる拒絶と、コロナによる制限のストレスが一気に吹き飛んだような気がした。あの頃は、Palo Altoで美味いワインも良く飲んだ。建築という業界があまりわからず、どうしようか悩んでいたが、そんなことは大した問題ではなかった。明るい日の下、Stanfordの広いキャンパスを散歩し、カフェに通い、家では静かに仕事や考え事をする。良いサイクルだった。周りに助けを求めてきた人にも手を差し伸べる余裕もあった。ギリギリの中で掴んだチャンスが報われた数少ない経験だったし、今でも自分の中で一番の成功体験になるだろう。

それから2年間。あまりにも生活は変わってしまった。まず環境が変わった。東京に戻ってきたのだ。今はその生活に慣れつつあるが、数年前とは全く違う。ここ数年間で苦しみやっと積み上げてきたものが無に期してしまった感じがある。ここ半年なども僕の頭をよぎるのは、「本当に数年前まで西海岸にいて精力的に動いていたのだろうか?」「苦労したアメリカの日々は本当に必要だったのだろうか?」「日本にそのままいても同じだったのではないか?」といったことばかりである。それほど環境が現実認識に与える影響は強いのだろう。ただ、それくらいの喪失を僕はしたとも言える。こうした体験は言葉で書くと伝わりづらい。多くのものを失い、原点に戻ってしまった感じがある。Steve Jobsも30歳でAppleを追い出され、一からのスタートになったとスピーチで述べているが、まさにそうしたレベルの喪失体験であった。

周りの日本で着実にキャリアを積み上げてきた友人たちを見ると、大きな遅れを感じる。かといってそこに戻れる気もしない。Berkeley時代のリスクを厭わない挑戦は今後できるのだろうか。あまりにも長い凪をまた待ち続け、次の波に乗ることはできるのだろうか。将来の不確実性と、現在の絶望感に苛まれ、今を生きている。

そして時間的な余裕も今はある。そうしたときに文章を書きたくなるのかもしれない。自分のメンタルを癒すためにも。2020, 21年夏の就活で行き詰まっていた時を思い出す。あの時も授業を片手間に行き詰まった思いを抱え、なんとか切り開こうとできる限りの行動をしていた気がする。

今回も同じなのかもしれない。スタートアップで片手間に働きつつも、自分の目指す未来の為に拒絶に立ち向かい、切り開こうともがく過程なのかもしれない。この先に2021年のようなゴールデンピリオドがあるのだろうか。それともこの過程は向こう数年続き、それに負けてしまうのだろうか。それは誰にもわからない。今の僕は昔を振り返って、前に進む希望を得、文章を認めて心の整理をすることしかできない。

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