物事には二面性がある。

勿論だが、自由にも二面性がある。

良い点は自分のペースで物事を決められるという点だ。好きな時に旅行に行けるし、好きな事も出来る。好きなものを食べ、好きな人とだけ会える。とても素晴らしい事だし、僕は自由主義者だ。

一方で、ダウンサイドもある。

何事も自分で決める必要がある事だ。ある意味これを「責任」という人もいる。

これは意外としんどい。何故なら、「考える」必要があるからだ。朝起きてからすることを「自分で」決めなければならない。どこに行くにしても「自分で」決めなければならない。これが長続きすると、流石に疲れてくる。精神的疲労だ。意思決定は疲れるのだ。さらに、自分で決める範囲が広くなるに連れて大変度は増してくる。決めなければならない情報量が上がるからだ。

今日のディナー→今日の予定→1週間の予定→1ヶ月後の目標→1年後の到達地点→5年後のキャリア→人生観

と言ったように。

フリーになって、自分の好きなペースで決められるようになったが、長期キャリアにおける不安感が最近また増してきた。

なんでだろうと考えた。

多分だけど、これはみんな持っているもので、短期的目標に分解することで対処しているのだと思った。短期的問題の方が解くべき問題のレベルが下がり、対処しやすいのだ。

自分の中で躍動する好奇心と直感の赴くまま、5月から色々なことをしてきたが、何かの環境に属さずやっていくという限界が流石に見えてきた。マズローの3段階目の欲求「所属の欲求」は侮れない。僕は非常に演繹的な考えをするため、ビジョンのレベルでは先鋭化されてきており、自分なりに納得のいく解を出せてきているのだが、具体のレベル(というか抽象と具体の間くらいのレベル?)に下ろすことができず、「具体の目標をしっかり定めるのが難しくなってきている」というのが今の悩みな気がする。

これを一回戻すには、具体と抽象くらいのレベルの休憩地点として、ビジョンに合った所属組織を見つけ、短期的具体のレベルでの問題解決を行うことが出来るようになれば良いと思っている。

実際的には、Stanford GSBとかEnhanceとかになるんだろうけれども、自分のビジョンにマッチするものは非常に稀であり、不確実性が伴うことから論理的な安心感が見つけられない。まあ頭で考えてもわからない時はあるから待つしかないのだが。

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