6月に入り、ベイエリアには暑い太陽が燦々と降り注ぐ陽気な日々が戻ってきた。僕の心は依然として暗く、暗鬱としている。この気候に救われていると実感する一方、自分の中の内的側面がここまでも身体感覚にも影響するのかと考えている。
William Bridgesの”Transition”という本に出会った。トランジションとチェンジとは違う。トランジションは自分の内的な側面が変わっていくのに対して、チェンジは外的な物事が変わっていく事だ。コロナにより多くの社会が変わってしまったのは大きなチェンジだが、トランジションではない。もちろんチェンジがトランジションを引き起こす事もある。けれども、僕の場合は、医者を辞めて(辞める前)から、自分にしっくり来る仕事をしようという大きなトランジション、そしてその最終段階において大きなコロナというチェンジが組み合わさったと言う感じだ。
トランジションとは「終わり」→「ニュートラルゾーン」→「始まり」の3ステージを辿る。僕に取っての「終わり」とは、ヘルスケア業界での知見や経験であり、それをxR、テック、PMなどのある種の「始まり」に至ろうとするトランジションを経ていた。これは想像以上に長いものであり、これこそが僕を苦しめて来たのだと思った。大きなトランジションの中にも小さなトランジションがいくつか繋がっている。2年前の研修を辞めてから旅に出た期間は完全に「ニュートラルゾーン」であり、小さな事に耳を澄ませながらも、その虚無の時間を生きていた。エジプトに行って古代文明を見つめ、バリに行き大切な友人たちとスピリチュアルな時間を過ごし、ブルゴーニュを始めとしたヨーロッパへ行き美しき物に触れた。帰って来たからは、チルをビジネスにしようと考えたり快適度メーターを作り、共感覚に魅せられ、共感覚ナイトなどのイベントを開いていた。
小さき一歩を繋げながらも、最終的な到達地点は分からず、直感に従ったままふらふらと生きていたニュートラルゾーンが、12/4のうっしーとの会話により、新たな「始まり」を迎えた。インキュベータでの経験とMBA出願、そしてMBA生活。これは自分の感覚も正しいと行っており、実際あの時に大きなトランジションは成功したのだと思う。医者として狭い世界しか知らない自分が、インキュベータで経験を積み、世界のトップスクールのMBAで学ぶことができると言うのは大きな飛躍であり、このままこの流れに乗っていけるような気がしていた。
ただ、そこでもトランジションが待ち受けていた。思えば、臨床→ビジネスへのトランジションは成功したが、ヘルスケア→テックといった部分でのトランジションが必要だったのかもしれない。MBAはピボットの場と言われる。ある種、社会に承認されたモラトリアムの場として2年間が存在している。それでも、インターンやフルタイムの就活はそのトランジションの成果のゴールとして存在しており、むしろそれを逃すと今後社会に戻る事は難しいとすら思えてしまう物だ。Berkeleyが掲げる”Beyond Yourself”の精神の元、一度トランジションをして落ち着いた状況からさらに自分に鞭打とうと、必死で頑張った。そう、「必死」と言う言葉がしっくりくる。僕の場合トランジションが大きく、その分時間もかかる。歳を取っていくにつれて、そうした長いトランジション(特にニュートラルゾーン)の期間をとるのは難しくなる。その為、今しかないとの確信の元、「必死」で道を見つけようとした。ポーカーで例えると、何度も負けが込んだ後、一度大きなハンドが来て、苦しいながらも勝つことができた。有利になり、その状況を利用する事なく、再び次の手でオールインをするような感じだ。側から見るとこれは「無謀」な事なのかもしれない。
実際に、僕は80社落ちてさらに今現在これだというものも無く、虚無の時間を過ごしている。孤独になることも多く、日本にいる友人と電話をすることも多い。内心では多くの周りの人たちが上手く社会の中で生きていけている事を羨ましく思い、それが出来ない自分に自責の念を抱いている。朝起きて時間もあり、何でも出来る状態であるのだが、自分の気が進まない。他人にアドバイスを求めても、解決しないのも分かっている。この状況を本当に理解してくれる人は少ないのだ。大きなトランジションを行い、その過程でニュートラルゾーンに入り込み、その鬱屈した虚無の中で次の一歩に対しての祈りや夢を信じ、ある瞬間の偶然の出来事から新しい「始まり」を迎えたことのある人である必要がある。僕自身も、そういったストーリーを求めおり、そういった本を読むことがこの1週間多かった。
山中伸弥博士はグラッドストーンから帰って来て、鬱になり、研究者を辞めようと本気で考えていた。その為に空いていた土地を買おうとし、臨床医に戻ろうとした。買う当日になって、母親から電話がかかって来て、「夢枕に死んだ父親が立って辞めたほうがいい、と言っていた」と言われ、1日待って説得しようとしたら、その日に丁度その土地は別の人に売れてしまっていた。またその年、ヒトES細胞の作成成功と奈良先端医科大学院でのPIの募集という二つのまさに山中さんの為とも言うべき前兆に出会う。大学院のポストの電話もお盆のネズミの世話中にもらったと語っていたが、こうした現実離れした力、前兆によりトランジションを成功させている。臨床→研究は一見すると近いように見えるが、彼の場合、整形外科→再生医療など多くの面で異質なトランジションを経ている。その為には長い準備期間とニュートラルゾーンが必要だったのだと思う。
もちろんMBAインターンが決まらない程度のことで死ぬ事はないが、こうしたニュートラルゾーンにいて虚無の時間を体験する事は、想像以上にきつい。尚更、前回味わったばかりの物が1年半経って再び来たのだ。けれども自分を信じて、周りの声に耳を澄ませ、目を凝らし、直感を研ぎ澄ます事が、トランジションの成功にとって最も大切なことだというのは、前回の経験から学んでいる。
トランジションが成功し、どうなるのかは正直わからない。2018年のブルゴーニュにいる時は、JOMDDに行って1年後にBerkeley MBAにいるなんて全く予想もしていなかった。今現在は、僕自身は卒後西海岸でxRテックのPMとしてのキャリアを進みたいと考えていたが、これも多分思いも寄らない道が訪れるのだろう。それが新しい「始まり」として「自分」にしっくり来るものである事を願っている。