今はサンフランシスコから東京への便の中にいる。2019年に希望を持って乗った飛行機と全く逆の絶望を持って乗車している。Studentビザが完全に切れることもあり、こうして米国を出国することになってしまった。

さて、6月から何があったのだろうか。まあいつかこうしたどん底の日々の詳細な出来事を振り返った時用に、記しておこうと思い、またこうして記述することで精神的に楽になるということもある。

6月末のレイオフは早過ぎるが、Unityの決算の悪化や株価の低下から全く予想できないわけではなかった。けれども、実際起こってみると、周りから音や色が消え、一瞬にして緊急事態モードに切り替わった。まず7月に婚約をしに緊急帰国し、そんな中でも就活を続けて行った。

まず最初のUnity UGamesのPMポジションは、レイオフ前にHiring managerに直接連絡しておいたこともあり、Finalまで進み、多くの人とConsumerプロダクトのInterviewを練習した。日本からのインタビューであったが、うまく行き、自分としても自信はあった。けれども、結果が遅れに遅れ、Internalだけで60人ものアプライがあるという話を聞き、暗雲が立ち込めた。

そんな中で並行してWaveからもInterviewが呼ばれ、こちらもHiring managerのCPOやfinalラウンドでエンジニアとの話も盛り上がった。唯一Engineerの組織を並行で見ている的な人との話が合わなかっただけで、感触はよかった。

一方で夏はMeta始め多くのBig techはHiring freezeし、今までAR/VR業界を果敢に引っ張ってきた、Nianticはレイオフ、Snapも完全に株価が死んでおり、日本でもまともなAR企業の社長が退任したりと、不穏な雰囲気が立ち込めていた。完全に辛抱の時期であり、なんとか垂れ下がる蜘蛛の糸に縋りつこうという感じでいたものの、微妙なStartupからは呼ばれるも、競争は激しく、大企業が凍りついている中で機会を見つけるのは本当に地獄であった。友人の助けを借りてReferralを元にアプライするも、全く引っかからず、その不確実性に精神をすり減らし、インタビュー練習などもやる気が起こらなくなってきた。

UGamesとWaveからのリジェクト通知が来たのは8月中旬くらいであったと思う。この時は本当に残念であったが、まだ時間はあるので諦めないという思いを元にまだ前向きであったと思う。実際にterminateの時期も最初は7月末であったのが、8月末に伸び、故に11月頭までビザが耐えられると分かったのと、国内のインフレも頭打ちの兆しを見せ、Q4からは多くの企業がHiring freezeがLiftするのではないかという観測が流れた。そんな中で、諦めずに道を探し続け、UnityのZiva dynamicsのCharacter platform PMのFinalラウンドに進んだ。Virtual humanに関するポジションで、以前同じチームにいた人とも話す機会があり、インタビュー自体もうまく行った。インタビュー自体は8月の末で、結果は9月の頭になるだろうという話になったが、ビザもあれということで、なるべく早く結果を教えてくれることになった。ただ、結局9月頭に、残念ながらもっとExperiencedの人を取りたいということでオファーは貰えなかった。

そして実際に9月になり、流石にこだわってもいられないと思い、LinkedInでポストをし、10万人くらいのImpressionがあった。コロナ禍でIn personの出会いが薄れた今、異国で新たな出会いや機会を見出すのはかなり難しかった。けれどもLinkedInでUnity Labの人から連絡があり、近々PMを募集すると聞いた。すぐにHiring managerに連絡し、Unity自体依然Hiringは渋ってはいるが、このポジションは三人抜けることもあり、緊急で雇う予定だという話を聞いた。やはり諦めなければ良い縁が巡ってくると思い、丁寧にコミュニケーションをとり、内容を聞くと、まさに僕がやりたいと思っているようなポジションであった。2030年ビジョンを目指すプロダクトで、そのイノベーティブなプロダクトを担当して世に出ることを想像すれば想像するほどワクワクした。実際にJDが出る前に、Cover letterを書いて熱い思いと共にHiring managerに送り、複数1on1もし、かなり気に入ってもらえたし、実際にオファーを出す方向で動いているとも言われた。けれども、9月あたりからまたUSの景気が悪くなってきた。インフレが止まらず、Big techの決算も悪くなり、元々は10月中に雇うと言われていたものが、1月になったと聞いた。もうその頃は完全にバーンアウトしていて、毎日夕方から酒を飲んで時間を潰して精神を保ち、家具も売り、家も1ヶ月後の退去を決めた。それでも、いつでも道が開ければ全て売って次に進もうという気持ちはあり、Hiring managerのLeeも良い人で、学生ビザのExtentionを考えて、その期間にちゃんとしたRecruitingを進めて1月にOnboardしようということになった。けれども、先週結局USからのHiringは出来ず、カナダもビザスポンサーできないと言われ、全ての選択肢が潰えた。完全に終わった。なのですぐに日本行きの飛行機を取っていたが、その時にSan Joseでマグニチュード5の実感できる地震が起こった。今でもあれは何の啓示だったのだろうかと思う。ベイエリアでここまで大きい地震が起こることは滅多にない。僕の希望が途切れる電話を受けたまさに数時間後で、象徴的なものであった。

そうして今日本に帰る飛行機の中にいる。嬉しい事にいろんな友人に声をかけられ、人に恵まれていると感じる一方で、本当に今絶望の真ん中にいる。味わった孤独や言語や文化の違いの大変さ、コロナ禍の不確実性などあったものの、僕はアメリカが好きだった。そのダイナミックさや、アウトローさ、グローバルを引っ張っていく力強さが好きだった。その中でテック業界でPMとして物事をInnovateしていくことは天職だと思っていた。それが失われ、全てなくなってしまった。MBA受験やインターン、フルタイム就活よりも圧倒的に苦しい体験をしている。あの時は燻っていたが何もなかった。今は「失う」体験をしている。職、金、国、健康を失い、フィアンセまで不安定な状況になってしまった。失うものは一つであっても人のメンタルを揺るがす。そうした物を複数、かなりの規模で失うことは、本当に「しんどい」という単語では表せないくらい絶望感がある。今のANAの飛行機は真っ暗で狭く、不快で希望もない。

とりあえず今できるのは、日本に戻ることしかできない。その後どういう道が開けるのか、正直期待は全くない。家族やフィアンセに会い、支えてくれた親友とも再会し、美味い物を食べ、温泉に入って休む。これ以上の苦しみや絶望は本当に味わいたくない。ただそれでも残酷にも人生は続いていくのだ。

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