チームにきちんと配属されて約2ヶ月が経った。依然オンボーディングに苦心している。何かをピボットすることは、まず新しい場所に行くことも大変だが、そこにきちんと馴染んで価値を出す所もかなり労力を使うものなのだなと感じた。そんなわけで、2021年は最後の最後まで苦しみ続けた1年であった。仕事や環境は充実している一方で、脳は悲鳴を上げており、かなりギリギリの状況で生きているなという感じがする。バーンアウトの境界を越えるギリギリで戦い、越えそうになるタイミングで休日を取るという綱渡り的な生き方でなんとか年末を迎えることになりそうだ。

ようやく1年ぶりに日本に帰ることが出来て、それを希望に生きている感じがする。Unity社はリモートワークでも分かるくらいに活気がある。チームの雰囲気も良いし、全体でもどんどん買収を進めている。こうした前向きのチームに入ることが出来て自分は本当に恵まれていると思うし、この2年間やってきたことが報われている感覚があり、とても嬉しい。

一方でやはり英語をネイティブとする集団についていき、かつ建築という新しい分野で、PMという責任の重い職務をこなすのは大変骨が折れる。Unityは上場企業であるとはいえ、アメリカの企業であり(出来たのはデンマークだが)、価値を出さずにいると解雇or窓際族→ビザや転職も出来なくなるという緊張感がある。また、言語で誤魔化しが効かない分、いかなる時も気が抜けずにいる。そんなストレスを抱えながらも、なんとか今出来ることや自分やチームにとって取るべき選択肢を考えながら働いている日々である。

自分はかなり個人主義が強く、全ての責任を自分で背負ってきた。良い言い方をすると自分の過ちを他に転嫁せずに向き合ってきた。なのでストレス耐性は高いとも言える。ただ、そんな自分でもやはりここまで自分の能力を超えた課題と向き合い続けるとかなりしんどさは感じる。もちろん目標は高ければ高いほど、自分が得られるものも大きくなるのだが、その分の精神的肉体的労力も大きくなる。

そうした境遇の中で時たま、自分はなんのために頑張っているのだろうと思うことがある。もちろん自分の為でもあるが、意外と自分の中に母国である日本のためになんとかしたいという気持ちもある。日本は閉鎖的であるが、安全でベースラインも確保されており、極めて良い国だと思う。そんな中で世界に出て、苦労して、最先端を追い求める必要がどこにあるのだろうか。やはりそれは危機に備えるということに尽きるのだと思う。今は安心安全の平時であるが、物事というのはいつ乱世になるかは分からない。第二次世界大戦以降、高度経済成長を経て、バブルはあったもののなんだかんだ先進国として平和な世の中を送っている。もちろんそれが続けば良いが、人間の摂理として、平和な社会は続かない。なぜなら平和な中では人は思考を停止してしまうからだ。気づいたら周りに遅れをとっていたり、自分を過大評価してしまったりする。そうしたリスクをどのようにして回避するか。それはやはり集団の外に出るしかないのだと思う。今言われているような多様性とは違って、「真の多様性」とは集団の意見に安易に賛同せず、外に出て自分の頭で真理を追求し続ける者のことを言うと思う。そうした者は平時には輝かない。本質を見抜く強き者こそが生き残る乱世において輝くのだ。

今の自分の境遇を正当化するわけではないが、こうした今の自分の挑戦が来るべき危機に対して何か活かすことが出来れば良いなと思っている。

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