今日はとても久しぶりに文章を書こうかと思った夜だった。

何故だかわからない。前に文章を書いたのがいつだったのかも思い出せなかった。今見たら帰国の日で、あれから1年経ったのだという感覚だ。いや1年前にベイエリアで生活していたなんて、本当に信じられない。この1年であまりにも多くのことが変わってしまった。

まず、結婚をした。日本人との結婚願望は強く、ベストな人と巡り会えたということは幸せなことだった。そしてスタートアップに就職した。もちろん年収などは激減したが、PMでAR、そしてエンターテインメントということで、分野だけ見ればベストな機会ではあった。そして新居への引っ越しやハネムーンなど。多くの出来事を迅速に意思決定して、なんとかこなしていく日々が続いた。夏は猛暑で、1日1日を生き抜くのも大変な時期だった。

そして思えば今日から10月、秋になった。

気温も下がり、エモい季節になった。この季節はダブルダッチをやっていた時の駒場祭を思い出す。なんとも懐かしく、青春の日々。DDDJで3位になり、NDDLとしてNew Yorkに行ったのは10年前だった。留学してからもNYへは何度か訪れ、あのクリスマスの時期のマンハッタンは今でも思い返すと心臓を掴まれるような気がする。そんな青春から離れ、渡米したのが4年前だった。その年の11月にはシアトルに訪れ、AmazonやMicrosoftをビジットしたし、2021年にはポートランド、そしてNew Yorkへ再び訪れた。あの日々は僕の中でいつまでも忘れられない思い出として残っている。10月から年末にかけては一番感情が動かされ、好きな季節なのだ。

さて、今は何をしているのか?

自分の中で起業を焦っている。何故だかわからないが、焦り始めた。ARスタートアップに転職してから、その後のキャリアとして、USのBig techに就職して再び渡米のチャンスを伺う、といった選択肢も検討したが、僕の中で起業して成功してUSに渡らなければ、という気持ちが強くなった。それはやはり日本企業の文化や考え方への幻滅もあったし、35歳という現実的に勝負できるピークを意識し始めているというのもある。そして結婚して子供など産まれる際に、年々リスクが取りづらくなってくるというのもある。以前も書いたが2030年までにビリオネアになるという目標を立てた。これはギャグではなく、なんとしてでも実現させる必要がある。僕のその後グローバルでやっていく過程にもなるし、幸せな家庭を築くためでもある。そして、今落ちぶれてしまった日本を元気付けるためにもなる。また、USで失った多くのものを取り戻し、友人たちと再会するためでもある。2030年まであと7年という事実が僕を焦らせるのだ。高城剛は、7年あればどこへでも行けると言ったが、僕もそれはそう思う。研修医1年目の7年前を振り返ってみて、あまりにも遠くへ来たなと思う。現実に満足せず、自分の意志を明確に持ち、諦めずにやり続ければ物事は叶うのだ。今日も強い念いと実現のラグという以前書いた記事を読んでいた。USでPMをやるという目標は2021年夏にUnityからのオファーで叶い、XR分野でPMをやるというのも、まあ色々失ったが今のスタートアップでなんとか出来ている。なので、心の奥から響くような念いを持てば、時間をかければ叶うのだ。

さて次は何か?

自分で確信を持ったアイデアをもとにグローバルで通用するプロダクトビジネスを作りたい

そして今分野として興味があるのはチル、リラックスの分野である。

ARの分野はとても面白い。人を外に誘導し、魔法のような体験を実現する。まさに僕がやりたかったことだ。ただ一方で、現実的な側面も嫌というほど体験した。こうした魔法の世界が実現する前提条件が満たされていないのだ。端的にハードウェアの面がまだまだ全然追いついていない。深い部分まで技術を見たときに、ARのアプリケーションビジネスとしてスケールできるプロダクトが価値を持つのは2035年くらいなのではないかと直感した。なのであと12年くらいある。ビジネスにおいてタイミングの重要性も今のスタートアップにいて嫌というほど痛感した。あまりにも先を行きすぎても、マーケットがついてこないのだ。

なので、今人に求められているニーズを中心に次起業すべきアイデアを考えている。それが人々の疲れ、でありそれを解決するスケーラブルなプロダクトを作れれば、世界に打って出れると考えている。正直2025年まで、つまり来年度中に起業してプロダクトを作る位の時間軸でないと2030年にビリオネアになる目標は難しいと思っている。そうした焦りが今僕にのし掛かっている。本を読んで大量のインプットを行い、旧友たちと話してニーズや刺激をもらっている。

まあ、そんなかんなでなんとか生きてはいる。ただ、去年失ったトラウマは僕の心に刺さり続けているし、秋になって更にUSでの思い出が首を絞める。結婚もして丸くなれる環境も整いつつある。そんな中で熱い想いと、USに戻って世界で戦い、日本のため人々のためとなるようなプロダクトを作ろうというビジョンを持ちつつ、32歳の焦りを共にしながら1日1日を過ごしている。

本当に久々に文章を書いたので、なんとも言えない気分である。次はいつになるかは不明だ。それでは

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