Follow you intuition. Believe in your gut. 直感はいつも正しい、心のままに行け。
とても良い言葉だ。僕も心からそう思う。し、そうあってほしいと思う。
僕は挑戦というか、リスクをとるべきというのは、直感が論理と対立した時だと思っている。
自分の心は論理では捉えきれないし、幸せをもたらすのは心であるので、直感に従うのはとても合理的なのだ。さらに言えば、人は直感に従った選択に魅了される。合理的でない経歴や、挫折などそうしたものに惹かれ、論理的な昇進やTOEFLの高い点数、高学歴などに惹かれないのは理解できる。(特に僻んでる訳ではないです)
けれども、直感は正しくない時もある。むしろ人生を壊してしまう時さえある。その直感のダウンサイドを今実感している。これはあまり語られることがないと思うが、直感は実は底なし沼への第一歩になりうるのだ。そのアップサイドがあまりに魅力的が故に、そこは覆い隠されてしまっている。
その合理性を超えた世界を、出来るだけ合理的に説明していきたいなと思う。
直感のアップサイドは、「選んだ時はとても苦しくても、その後は人生が正しい方向に進んでいると実感できる。」ということに尽きる。
どういうことかというと、例えば僕らは大学三年の時ダブルダッチの東日本大会で敗者復活に残ったが、JAPAN大会へとは進めなかった。そこでまた一年やるかどうかを検討した。その時、論理的には皆就活や試験などで忙しくなり、3年でやめるべきであったが、もう一年戦うことを選んだ。もちろん辛い道ではあったが、目標というか自分の中でこれに進むという道は腑に落ちたため、人生を強く進めた。というか人生が正しい方向に進んでいる感じは持てていた。最終的に結果を出すことが出来たが、その結果というより、正しい方向に進んでいるという確信の元、頑張ることが出来ていたという感覚があった。
また、ダブルダッチを引退した5,6年の時もかなり直感的に歩んでいた。休学して留学する夢を諦め、デザインスクールでの勉強をし始めた。なんのデザインの知識もないし、単なる好奇心で選んだものだった。もちろん大した作品も作れず、恥をかいたが、それでも人生は正しい方向に進んでいるという確信はあった。
その中でも、僕はここ数年強い直感に従ってきた。
「Stanfordという目標を掲げた海外への意志」という直感に従った。Stanford1校受験というどう考えても100人に言ったら100人辞めておけという選択をとった。僕の尊敬している人や雰囲気、歴史や文化など、言語化出来ない数々の要素がその選択をしろと言っていたのだ。そこから無我夢中で準備をした。推薦状を頼みに言ったり、Biodesign受験をしたり、テストも何十回も受けた。悪い結果でも大丈夫だという気持ちがあり、今年4月に出願した時は、一つの何か一つ大きな仕事を終えた感覚がして満足したものだった。結果としては落ちたが、ベイエリアに行って金子さんに会いに言ったり、エジプトへの旅、ICLをやっていた7月あたりまでは何かに導かれて繋がっていく気がしていた。
「正しい道を進んでいるという確信」があったのだ。
それが、8月あたりから雲行きが怪しくなってきた。もちろんブルゴーニュへの旅は楽しかった。けれども、その他に試すこと全てが何にも繋がらず、最近は繋がる気もしなくなってきた。
「正しい道だ」という確信がなくなってきたのだ。
これは相当しんどい。
直感が強く働く時、頼れるのは「正しい方向に進んでいる」という確信だけなのだ。それがなければ何にも頼ることが出来ない。そりゃそうだ、論理では捉えられないことをしているのだから。僕はずっと直感に従う事と「正しい方向に進んでいるという確信」はセットだと思っていた。それが分離し始めた時に、どうしたら良いのか分からずいる。
本当にわからないのだ。
頭の中では考え続けているが、体が乗り気でないというアンビバレントな状態が起きている。
行動としては直感に従って色々やるが、「正しい方向に繋がっていく確信」がない。故に強い不安やストレスを感じる。けれども、それを正当化する要素がない。論理も直感も機能しないからだ。
なんだろうか、直感に従ってオールインした努力が全て報われるとは思わないが、形を変えて新しい道を用意してくれたり、別の物につながるきっかけには須らくなると思っている。それが今回の留学において、全く得られていないのだ。村上春樹の騎士団長殺しにも表現としてあったが、「受け取るはずのものを受け取っていない」という感覚だ。
多分これが原因だと思う。
このむず痒さを抱えたまま、今年も感傷的な季節、クリスマス、新年へと突入する。
魔法をかけて欲しいと心から思うよ。Epiphany.