苦しみについて書き留めて置きたいと思う。こう書くといかにも厨二病な感じがするが、意外と自分のストーリーを語る上で、リアルな苦しみについて記しておくのは大事なことなのだ。何故なら、人の脳は苦しみを風化し、それがどのくらい辛い物であったかを容易に忘れさせてしまうからだ。それは前を向くのに良い一方で、振り返った時に常にバイアスがかかることとなる。

今、人生の岐路に立っている。この1ヶ月の凪の時間を経たようやく物事が動く時期が来たのだ。このコロナ禍で偶然性などを元に新しく物事を始めるのが難しい中、なんとか動いて掴んだチャンスだと思っている。ただ、一方でそういったチャンスと対峙して裏切られてきた事が続いており、また何も繋がらなかったら本当に心が死んでしまうのではないかという恐怖がある。

死ぬ時も前のめりに死ぬ男としての覚悟を貫いたといえば聞こえが良いが、昔の時代と違って今は肉体的には死なないが、リビングデッドになる。休んで復活すれば良えば聞こえは良いが、一度死んでしまった心を取り戻すのは難しい。こうした恐怖心と向き合った中で一日を歩んでいる感覚がある。

忙しさで目が回ることによる苦しさとはまた違った苦しみではあるが、確かに存在している。こんな時でも、チャンスに備えて多くの友人たちが協力してくれたことも心に突き刺さる。皆自分の人生に忙しい筈なのに、わざわざ時間を割き、かつ自分の知見を親身になって教えてくれる。そうした人々に期待に報れない自分に嫌気が指すこともあるし、自信を失ってくるとそうした人々への顔向けも段々出来なくなってくる。

「自分なりの生き方を貫く」報いを受けている感覚が常にあり、感覚的には一歩波に乗ってしまえば、そのままサーフィンのように大きく別の場所に行ける気はしている。しかし、MBA入学後のコロナの様に人生何があるか分からないし、今回抜け出してもまた数年後にこうした溝に嵌ってしまう可能性はゼロとは言えない。

そうした多くの物事を出来るだけ考えないように昇華しながら明日の1on1を待っている。

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