今日は今までの僕の思考パターンについて書いておこうかと思う。
入試や仕事などずっと感じてはいたが、僕の思考パターンは割と特殊なようだ。そしてそれが故に社会に適応できないというのもある気がする。思考パターンが働き方に影響を与え、ゆくゆくは社会や文化を作り上げるからだ。
一言で言うと、僕の思考は分散型だ。
1日に多くのことを区切って考え、取り組んでいる。
ざっくりとDNAのスプライシングのような感じだ。
1時間程度集中きて取り組み、間を取る、その次には別のことをまた1時間やる、と言ったようなことだ。仕事においてもそうだ。医者をやりつつデザインをやったり投資をやる。
これには一応背景に自分なりの考えがある。
世の中は複雑化している事が起因している。多くのことは色んなスキルや分野が網目のように入り組んで形を為している。
そうした複雑系を捉えるためには、物事や思考を並行で走らせるほうが効率的である、と思っている。
理由は二つある。
- 人の集中力は1時間程度でピークを迎えてそれ以降漸減するという事。
- 学んでいない間の時間をうまく使えるから
1に関しては、割と共感してもらえると思う。人の集中力はそんなに長い時間続かない。そして、現代の情報量が爆発した中では、その集中持続可能時間はどんどん低下している。
そのため、一つのことを極めるまで長時間集中するというのは効率が悪い。
次に2に関してであるが、間を持たせるのは非常に重要だという思いが強い。なぜなら、間の時期に何故か無意識的に能力が伸びることもあるのだ。例えば英語。留学などで詰め込んで、一旦帰ってきて何もしていないけれども、ぐっと英語へのハードルが下がることは意外とある。間をとっているふとした瞬間に、脳の回路が繋がっているのだと思う。脳科学的にはDMN(デフォルトモードネットワーク)というみたいだが、これは生きた力にするのに非常に有用だと考えている。
というわけで、僕はいろんなスキルを分散して学ぶことを心がけている。けれども、自分でも思うがこれは非常に大きなリスクであるとも思っている。何故なら、世の中はバランスをあまり求めていないからだ。尖った一点突破こそが求められる世の中になってきている。何故なら目立つからだ。
8割のスキルを大量に作り出し、それを合わせ、完成度の高い作品を作るに当たっては有用な能力も、見方によっては諸刃の剣である。
大きな賭けである。
けれどもいつか、細部や本質にこだわった素晴らしい作品を作ることに結びつくことを望んでいる