先週はLiteboxerという自宅フィットネスのスタートアップのVRアプリ開発のPMとディズニーのPhotogrammetryのInternal productのPMのインタビューが入り、徐々に掴むべき流れというものが出てきた気はする。もちろんインタビューが来るまでも長いが、インタビューが来てからも長いのだ。そんな中でUnity CEO向けのピッチを作成したり、Industry向けで働いている人にリーチアウトしたり、3D/AR/VRの最新動向について久々に調べていた。
どう考えても、この分野について考えている方がヘルスケアについて考えるよりもワクワクするなと思っている。やはり、出来ることよりも直感が動くものにBetするべきなのだ。
一方で、日常はかなりの暇があり、アラモアナのカフェに行ってゆっくり考えたり、寝転んで竜馬がゆくを読んだりしている。久々にこういう境遇を味わったが、やはりこういう時間は本質を見つめる時間を与えてくれる。去年1月に、サンマテオに僕の尊敬するべき金子さんに会いに行って食事をしたが、その際に「なぜ金子さんはギャップをとるのか?」という質問をした。彼は医者を半年辞めて、ぶらぶらと日比谷で映画を見たり麻雀をやっていて、そこでMBAを知ってアメリカに旅行に出かけ、出願したStanfordに合格した。その後英語が喋れないながらもジェネンテックへ20番目で入社し、バブル期は日本の金融、ベイエリアのバイオベンチャーのCFOやVCとして類まれな活躍をしている。彼はただ、一つの成功の後に本当に何もしない時期をとったりと変わった生き方をしている人でもあった。そんな彼の言葉が今でも頭に残っているが、ギャップをとるのは「大局観を養うため」と言った。
その時はなんとなくわかるが、別に忙しくしていても1時間とか休む時間を取れば大局的に考えることは出来るのではないかと思っていた。確かに、それは一理ある。けれども、10年先、100年先、また人類の歴史といった広いレベルで物事を考えるには、もっと纏まった時間や余裕が必要であると今回のギャップで認識した。
MBAの時も休日などで半日時間が開くことはあるが、いきなり思考を変えるのは難しい。数年の中でどうするかや、もっと短い数ヶ月のタスクをどうこなすかということに慣れ切っている頭を5年10年単位の軸に切り替えるのは、違う言語を喋るくらい難しいことなのだ。
もちろんギャップを取るとそれはそれで、社会に戻れなくなるリスクや不確実性への恐れや孤独に苛まれることにもなるが、物事の本質や自分の本当に求めている物を見つめ直すことができる。1ヶ月ほどハワイで過ごしてきて、今の時期はそうした根本に立ち返る時間なのだと思うようになった。全ては一長一短なのだ。