ここ最近、強い念いと実現のラグについて考えている。

2016春 東大のMaster of Bioengineeringを目指す→2019秋 Berkeley MBA/MEngにて実現

2017夏 Stanford MBAを目指す→2019春 Berkeley MBAにて実現

2017春 Microsoft HoloLensを購入しMRの領域に入りたいと思う→2020冬 MS Japanインターンで実現

2018冬 デジタルヘルスを面白いと思い、Akiliと出会う→2021春 BerkeleyでのProjectで実現

2019春 USのTech分野でのPMを志す→?

2020春 XR領域(特にNiantic)での就職を目指す→?

「今のままではいけない、次の場所を目指そう」という危機感が漠然と湧いてきた後に、かと言っても多くの選択肢がある中で、どの山に登るべきか分からず、直感や前兆が心を動かすまで待っている時がある。例えば、医学部にいた時も、医者というのは僕にとって全く合わず、苦痛そのものであったのだが、かといって次に登るピンとくる山もなかった。けれども、2016年春にBioengineeringに興味を持って東大の研究室に見学に行ってみたりした。ただ、その時はこれがきっかけになるかもしれないと思ったものの、特に何にも繋がらなかった。海外に出なければという思いのもと、なんとか医学を活かせる場所に行こうとStanfordのBiodesignにその時は興味を持っていた。そうした繋がりでなんとかたどり着いた池野先生と話したのが2017年の夏で、そこからStanford MBAを目指すことにした。この時は、ようやく目指す山が決まったと感じたし、休職などもしてほぼこのことだけを考えて生きていた気がする。結局二度落ちて、詰んだかと思ったが間一髪でBerkeleyに救われた。そうしてMBA(+MPH)に入学したのだが、なんとMBA/MEngが始まるということで、2016年に興味を惹かれていたBioengineeringを学ぶ機会が降ってきたのだ。そうした昔強く考えていたことが、ふとしたことで後になって実現することがある。

そんなわけで、上の年表に書いたように自分の念いと実現のラグについて考えている。それは実現までに時間がかかるのは当たり前だと思うのは当然だと思う。ただなんだろう、僕の場合のここでいう「念い」は長い思考を重ねた末の光や希望のようなもので、「それにより今の場所から抜け出せるかもしれない」という救いという要素が強い。それなので、短期的になんとかそれを実現することで、今の沼から脱出出来る、裏を返すとこの機会を逃すと再び停滞の中へ戻ってしまう、という恐怖感があるのだ。

今の現状から抜け出る時は、割と昔はそうした前兆の問いかけがあり、直ぐに次の行動や環境へと繋がっていったが、ここ最近はそこにラグが発生している感覚がある。もちろん時間が経って実現されるのであれば、それは嬉しいことのように思えるのだが、あまりにも強い感覚・感情であったが故に、時間による熱意の低下も激しいものとなる。絶対量としては依然残存しているのであろうが、減少の傾きが大きいが故に、もう当時のような強い情熱は残っておらず、むしろその次に行こうとする新しい情熱によって書き換えられてしまっているのだ。

どうしてこうしたことを思ったかというと、この冬にMSでインターンをしてMixed Realityに関わることが出来た。そして前からやりたいと思っていたAkiliとのプロジェクトも今行うことが出来ている。後ろを振り返ってみると、凄く充実している一方で、前を向いてみるとUSでのPM就職、特にXR領域という狭い分野に情熱は動いてしまっており、今に満足することがなかなか出来ていない。それなので、酒などを飲んで昔を振り返っている際は、「いやーMBA生活大変だったけど色々な経験を出来て、点と点は繋がってきている。」と安心できる一方で、平常時は「この狭いターゲットと俺の今のスペックで突っ込むと、このままだとまた沼にハマる」という未来に関する不安で潰されつつあるのだ。

まあこうした悩みはよくあることで、「過去や未来に囚われず、今を生きろ」というのが正しいことなのだが、僕の場合は常に自分の中の声、ビジョンを大切にしてきた。むしろそれがあるから、異質なリープ、自分のユニーク性を実現できてきたとも言える。その自分の中の声の実現までの時間が短ければ短いほど、情熱を未来に繋げ、今を生きることが出来る。そこのラグがあるほど、未来と過去のギャップに悩まされることになる。

そうした感覚が強まってきている事を危惧している。全ては向こう数ヶ月で分かることになるのだが。次は何が起こるのだろうか。

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