職を失ってから3ヶ月が経った。以前様々な希望が見えかけては消えを繰り返し、期待が裏切られ続ける日々を過ごした。そして、特に何もやることもなく、やる気もない一日一日が過ぎて行った。

「どうしてこうなったのだろう?」

と素直に一日に数度程度ふと思う。僕はどんな時も原因は幾許かは自分にはあるという立場であるが、ここまで流れが悪くなることはあまりにも予期していなかったし、僕自身の精神が招いたものでもないと思っている。僕はそこまで悲観論者でもないし、今できることは最大限してきたつもりなのだ。

そんな訳で、無為にベイエリアでの毎日を過ごしているが、限界が近い。去年ハワイにいた時のように、「これ以上一人で何もなく過ぎていく一日を繰り返すのは限界だ」という感情なのだ。

ここ数ヶ月はなんだかんだ色々な人に電話をしたり、希望もあったので、耐えられた部分があった。ただ、リミットまで1ヶ月を切った今、かなり一人で耐えるのが限界にきている。こんな絶望の中においても、今年の夏プロポーズして僕のことを好きでいてくれる遥だけが僕の希望なのかもしれないと思った。そんな遥とも先週雲行きが怪しくなって、本当に全てのものを失うのかもしれない、と思った。研修医の後や、コロナがヒットしたインターン就活、フルタイム就活と、想像以上の艱難辛苦を味わったが、今回は群を抜いて厳しい。あまりにも失うものが大きく、年齢も重ねてきた中での振り出しに戻る事実は絶望をもたらす。

それでもなんとか遥とは持ち直した。ただ依然この良くない流れは続いている。これはいつから来たのだろう?研修2年目あたりから苦境の人生であった。けれども、それがようやく終わったと思ったベイエリア渡米の2019年夏から半年経ってコロナがヒットした。インターン就活でも苦しみ、家も追い出された。思えばあの時から迫り来る連続した波のように、悪い流れが続いている。そんな中でもUnityの機会などほんの少し覗いた好機をものにして、なんとか今を紡ぐことが出来てきた。

けれども、感覚として生きている中の99%がしんどい感覚がある。自分の転職と思われた3D分野におけるProduct ManagerをUSに置いて得ることが出来た代償としてこれを得るのであれば、あまりにも大きすぎる代償だとも思える。今は物事を客観的に見ることが出来なくなっているのかもしれないが、明らかにこれは「不幸な成功」である。医学部にいた時から思考停止することによって「幸せ」を得ている周りの奴らに対して疎外感を感じ、自分は「本当に幸せ」に自分の道を見つけてやろうと思ったが、それによって得られた境遇は輪をかけて不幸せなものであった。

僕はこうしてまた今日も酒を飲みながらこの文章を書いているが、今回が本当に「孤独」という負のエネルギーと向き合う最後になる、いや最後にしなければならないと直感した。このまま個人で理想を追い求め、社会と対峙し、色々なものをすり減らしていくのはもう終わりにしないと、命が削られてしまう。

もちろん苦境で人は造られるし、深みが生み出される。けれども、ここ5年の孤独の中で経験してきた苦境は僕に幸せを齎さなかった。今こそ、孤独から脱却する時なのかもしれない。遥と2ヶ月半後に結婚する予定であるが、本当にこれだけが僕の救いである。この31年間というあまりにも深く考え、どん底を見てその中で道を模索し続けた人生の中で、遠隔ながら彼女を見つけ、名古屋まで会いに行って、結婚を取り付けるという「奇跡」を起こした自分を褒めてやりたい。僕の「孤独」に終止符を打つ存在であり、この悪い流れを断ち切る大きな転換点になってくれると信じている。僕は遥を心から守りたいと思うし、彼女と出会えたことを幸せに思う。

2022年で孤独の年は終える。そして2023年からは本当の自分の第二幕を迎えることになりそうだ。それによって「尖ってない」とか「丸くなった」とか言われようとも本望だ。なぜなら「孤独」によってもたらされた結果はあまりにも苦痛で不幸なる毎日であったからだ。「嫌われる勇気」もあれば「幸せになる勇気」もあって良い。幸せになった先に、自分の進むべき道が現れると信じたい。

今日の文章は心の底から書いているが、書けば書くほど何を書いたかを忘れている感じがする。でも、自分的には深い悲しみを綴っている気がしている。幸せになろう。

それでは

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