僕は「流れ」というのは確実に存在していると思っている。そして目を凝らし、耳を澄ませていれば、その「流れ」が変わった瞬間にを自覚することができる。それがどんなに些細な出来事であっても。
僕の場合、去年医師を辞めて特に行きたい所もなく完全に手持ち無沙汰になっていた。2018年12月4日11時にRUとSkypeで会話している時に、どういうわけか「MIT MBAを目指せば必ずその先に道が拓ける」という確信を得た。(結局MITは落ちてBerkeleyになったが、それでも道は拓けた)その確信が何処から来たのかはわからないが、極めて直感的なものであり、些細なものであった。
UC Berkeleyに来て早4ヶ月、再び今後のキャリアなどで極めて重い感情に苛まれていた。USのBig TechにおけるProduct Managerという職種の競争は想像以上に激しく、ある種決まったルールの中でいかに周りを蹴落として地位を勝ち取るかというゲームになっていた。それでもPMという職種は指揮者に近く、僕に向いていると信じていたし、それを効率的に学べるのはBig techしかないと思い込んでいた。けれどもその競争は余りにも僕の精神をすり減らすものだった。ここ数日、肉体的な疲労とも掛け合わさって、病院で働いていた時と同じような鬱状態に陥った。
昨日も余りにも疲弊し、昼間から帰って寝ていたのだが、夕方授業後にカフェに立ち寄って、アイスティーを片手にカウンターに座って頭を整理していた時に、ふと閃いた。「USであっても大企業は僕の目指すべき所ではない。スタートアップで創造的、破壊的なことをやるのがHiroki Yamamotoのすることだ。」という確信が心に舞い降りた。
村上春樹が29歳の時に小説を書こうと思い立ったのは、明治神宮野球場でプロ野球開幕戦、ヤクルト×広島を外野席の芝生に寝そべり、ビールを飲みながら観戦中、1回裏ヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが左中間に二塁打を打った瞬間だったという。去年のSkypeも今回のカフェも、まさにそれに近いものがあった。自分の中の繊細な直感が、羽根のように上から降りて舞い降りて来て、それを上手く手のひらで受け止められた感覚があった。村上春樹はエピファニー (Epiphany)と述べてが、そうだったのかもしれない。
それからまだ24時間しか経過していないが、それまでとはまるで違った世界の見え方になり、また驚いたことに次に繋がるであろう面白い機会も降ってきた。
極めて主観的で掴み所のないストーリーかもしれないが、僕はこうした事は誰にでも訪れる事だと思っている。忙しさに蹂躙され、効率性と再現性だけに囚われる事なく、こうした自分と世界の脆い繋がりを掴んで、紡いでいく事で何か想像もつかない織物を生み出せると信じている。
それではまた