ここ最近、あまりにも苦しく、あまりにも先の見えない日々を送っていた。インタビューの予定はあるものの、希望は見えず、何一つ新しいことへの意欲がなく、このまま人生も終わっていくと思っていた。先週の日曜日には、悪夢を見て、早朝覚醒に気づき、これは鬱ではないか?と思いBeckの鬱病調査票で確かめてみると42点と極度の鬱症状と出て、これは本格的にやばいと思い、知り合いの精神科医に連絡したり、オンラインのカウンセラーを予約したりしていた。そうしても悪夢は続き、朝の3時に覚醒し、憂鬱な毎日を送っていた。
けれども、ようやく「楽しいという感情」を取り戻す体験が出来た。今日の夕方ふとワイキキビーチに繰り出し、ハワイにいるのもあと二日ということで、モアナサーフライーダーのBeach Barでモアナマイタイを飲んでいた時に、久々に「心地良い」「生きていて良かった」という感情を思い出すことができた。その時に、「ああ、もしかして人生底打ったのかもしれない」と思うことが出来、またこの1ヶ月色んなことはあったものの、なんて精神的に苦しい日々を送っていたのだろうと実感することも出来た。
今自分の置かれている状況を客観的に認識し、自分の精神状態を把握するのは、想像以上に難しい。友人というフィルターを通しても、それを自分の中で再解釈する必要があるため、「実感して納得する」ことはさらなるステップが必要となる。そして、往々にしてそうした「気づき」は何がきっかけになるかはわからない。勿論人との何気ない会話がきっかけになることもあるし、くつろいでいる時間にハッと思い直すこともある。こうした何かが変わるかもしれない、と気づくきっかけは想像以上に貴重なものであり、それを待つことは何よりもしんどいことである。
そして、その直感は必ずしも正しいとは限らない。実際に僕の状況が好転するような出来事が起きたかというとそうでもなく、依然不確実性の中にいる。ただ、自分に起きてくる出来事に対する解釈が変わり始めたのも確かであり、それにより前向きになれるかもしれないという確信があるのも確かである。グラフで二次方程式を書いてみれば明らかであるが、変曲点では、絶対値自体はマイナスのこともある。けれども傾きはマイナスからプラスへと180度好転しており、人間が絶対的なものだけでなく、傾きや加速度といった数学的微分まで感じられるとすると、大きな転換点なのである。そして僕は人間はそうした存在であると思っている。
繰り返すが、これにより人生がどう好転していくのかは依然不明なままである。けれども、久々に「充実感」という正の感情を味わったのも確かであり、この1ヶ月間の負の期間からの脱却の糸口が見えたのも確かである。明後日には再びベイエリアに戻る。環境を変えることにより、果たしてどういった変化が人生に起こるのだろうか。