モントリオールからサンフランシスコを経由して日本に戻ってきたが、ここ1週間の流れが最悪だ。本当にコロナが始まった時くらいの酷い仕打ちを受けている。ようやくふと水面に顔を出せると思ったら、一難去ってまた一難でどんどん次の苦しみが降り注いでくる。このままだと体が持たないなとも思いながら、今日はなんとか流れを断ち切ろうとしてこの文章を紡いでいる。言葉にすることで、より自分の深い部分と繋がることができ、世界とも共鳴できると信じているからだ。

まずモントリオールでのOffsiteはとてもよかった。実際にチームメンバーと会えて話せたことも信頼の向上に繋がったし、ディナーで酒を飲み交わして率直な話ができたのもよかった。けれども、やはりディスカッションとなると、ガンガン意見を表現する西洋文化についていくのは、MBAを出た身としてもまだまだしんどいものがあると感じた。そして、マギルPhDの友人との3度の食事も最高であった。こうして異国の地で古き友と会うことができるのはグローバルキャリアの特権だよなという話をしたりして、今後も頑張ろうと励ましあうことが出来た。

そんなわけで1週間ほどフルに詰まった滞在で疲労困憊であった。そこからが暗雲が立ち込める。まず、モントリオールの天気が後ろになるにつれてどんどん悪くなっていた。モントリオールは雪は降るが、夏は比較的天気は良く雨は降らないと言われている。けれども、滞在後半は殆どが雨か鬱々しい曇りで、今でもその印象が僕の脳裏にはこびり付いている。

最終日もその旧友と酒を飲んで空港に向かったのだが、そこも異常なまでの渋滞で、今思うとその後の悪い流れを表していたように思える。空港に着いて、一刻も早くラウンジで休もうとしたのだが、何故かモントリオールでアメリカへの入国審査があった。普通は入国先の国でImmigrationがあるはずなのだが、何故かカナダは違うらしい。そしてそこで別室送りにされてしまった。F-1 OPTなんて知らねーよ、違法入国しようとすんな、と言うことらしい。Offer letterやらI-20などをきちんと提出するも一向に聞き入れてもらえない。態度はあまりにも横暴で、明らかにアジア人を軽視するようなものであった。フライトの時刻が刻一刻とせまり、これを逃したら日本にも帰れなくなるため、祈るような気持ちでいた一方、入国審査官は自分の部屋でポテトチップスにコーラというまさにしょうもない組み合わせのスナック菓子を満足そうに食っていて本当に殺意が湧いた。そして何故か日本人ということで戦争にいちゃもんをつけられ、幾らか誘導尋問のようなものもされた。ただなんとかEngineeringがOPT的確であることを示して入国出来たのだ。かなり精神力を持っていかれて、ようやくラウンジで飛び立つ直前にリラックスしようと思ったら、午後6時でちょうど閉鎖、という本当に何も上手くいかない流れであった。

ただ、なんとかフライトも30分程度の遅れで出航し、SFに着くことが出来た。Palo Altoの自宅に着いたのは11時で、ここから少し休んでパッキングし、再び空港へと出向いた。空港で受けた検査は陰性で、ふと安心して出国するも、Star Aliance membershipで使えるUnitedのラウンジの陰な感覚、そしてエコノミークラスの周りのメンツの酷さということなど、依然流れは悪いままであった。それでも隣に座った人となんと5時間も話して、上手く時間を潰せたと思ったが、そこからが最終段階の地獄であったのだ。

なんと空港の検査で陽性になってしまった。正直フライト直前にも抗原検査をしているし、カナダ出国の1日前にもオフィスで検査もしている。なのでどう考えても陽性になるなんて信じられなかった。なんとかもう一回検査をしてもらおうと交渉したが、ルールだから出来ないと言われ、日本のあまりにも型にはまったシステムを本当に呪った。満身創痍になりながら隔離先のホテルに移動して眠りについたが、次の日少し体が重く、熱を測ってみたら38度超。あの抗原検査は正しかったのだ。まさかのフライト期間中に潜伏期間でウイルスが体内で増殖したのか、疲れ切っていて僕の免疫がきちんと作用していなかったのかもしれない。そんなかんなで初のコロナ感染で38度であったが、まさかのその日の深夜には重要なKickoffがあった。なので本当に意識朦朧となりながら、ホテルの弱いWifiで朝4時にKickoffミーティングを開催したのだ。参加者20人近くをリードしなければならず、今でもどうこなしたのか思い出せない。また、次の日も幾らかのミーティングが入っており、高熱の中起きて参加する必要性に迫られた。

そんなかんなで今は熱もようやく下がってきたのだが、地獄を味わった。3月後半、ベイエリアでReorgに伴うKickoffを終わらせ、友人も見送り、モントリオールに来た。みんなとIn personで会った後に、こうも流れが悪くなって最後は、コロナで高熱にうなされながらの深夜仕事(with弱いWi-Fi)という人生でも滅多にない程の地獄を味わった。

ただ何より自分が悲しかったのは、これによってHaruka(前述の名古屋の結婚しても良いと思う直感を得た子)との旅行をキャンセルしなくてはならなくなってしまったことだ。モントリオール出張でただでさえ旅程を変更したばっかりなのに、直前になってまた変更。そして向こうの気も少し離れているのではないかという不安もある。多分こうしたものは、流れが悪いせいで感じているのだとも思うが、女性はそういうものにも敏感なのだ。僕にとって彼女に会うことはこの2週間の最も大事な目的でもあった。それがコロナという最大のブロッカーにより打ち砕かれようとしている。

こういう時こそ気をしっかり持ち、流れを変える必要があるのだ。こうして深い自己と向き合って紡いだ言葉には見えない力を生み出すと思う。今日もその彼女と電話をするが、この投稿によって物事の流れが少しでも上向くことを祈る。

Keep fingers crossed

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