今またバーンアウトしかけている。今日友人と話していて改めて思ったが、本当にアメリカに来てバーンアウトの頻度が増えた。自戒の意味も込めて、今まで人生においてバーンアウトしてきた時を振り返ってみたいと思う。
最初にバーンしたのは研修医の時であった。2年目で慶應病院で働いている時に、StanfordのBiodesignやMBAを目指すに当たって、日々の業務が本当に出来なくなった。放射線科などは実際の業務は本当に楽であったが、MBA受験のプレッシャーやWhat matters mostを考える中での臨床への期待値の低さがどんどん心を苦しめていった。
なんとか休職して立ち直ったものの、2回目のバーンアウトはStanfordに落ちてニートをしてて、エジプトやブルゴーニュに旅行に行った後であったと思う。この時は本当に何をすれば良いのかわからなかったし、朝起きて自分の絶望感に押し潰されていた時期だった。
それも12/4にうっしーと話してMITのMBAを目指せると直感して立ち直り、結局Waitlistであったものの、Berkeleyへと進学することができて立ち直れた。Berkeley MBAにおいてやるべき事はある種早くから決まっており、Tech分野へのピボットとProduct Managerになってテクノロジー、ビジネス、デザインの交点に立つ事であった。ただプログラムが始まって、Social eventやインターン対策の厳しさ、インタビューに呼ばれない絶望感などが合わさって3度目のバーンアウトは1年目の12月中旬に味わった。これはまあVision questやらハワイからの年末を日本で過ごすといった気分転換により解消した。
その後はベイエリアに戻ってインターン就活に勤しむも、2月にコロナがヒットして、Japan Trekは中止、Hiring freezeに伴うインターンの機会の減少により、1年目の5月にまたバーンアウトすることになった。この時も、もう頑張れないと思ったし、朝起きて機会もないことに絶望していた気がする。なんとか社会的になろうと友人とビアガーデンに行くも、コロナ前に上手く機会を得て社会的に生きている友人たちを羨ましく思ったものである。ただそれもなんとか6月中旬にスタートアップからオファーを2つ得ることが出来て、ほぼ無給ながら、なんとかベイエリアでリモートでも働くことが出来て満足できるようになったことを思い出す。
そのままMBA/MEngの2年目に突入することになる。2年目は就職先を探しつつも、冬は日本に帰ってMS JapanでPMMインターンを行い、春はAkiliとのCapstoneプロジェクトをリードするなど厳しいながらもなんとか乗り越えられていた気がする。けれども春を過ぎてもフルタイムのオファーが決まらず、1年以上ずっと心労としてのしかかっていた。ワクチンも接種し、US国内を一周するもオファーを得られる気がせず、この頃は振り返っても本当にしんどかった。場所をハワイに移すも、毎日予定が一件あるかどうか。そしてバーンアウトをしているので、それに対するエネルギーも薄れていて、あーこうして人生は終わっていくんだと考えていた日々であった。これが5回目のバーンアウトか。けれどもHaasのDeanからUnityのCEOを紹介されて、満身創痍の中ピッチをし、それがなんとか次のSVPレベルのインタビューに繋がってオファーを得ることが出来た。ベイエリアに戻ってなんとかサインをしたが、この時はあまりにも疲れ果てていて、よっしゃーやってやったぞー!というような達成感、解放感は全くなかった。
けれども実際にUSで職を得て、かつPM職ということで、奇しくも兼ねてからの夢が叶った形となった。ただ6回目のバーンアウトはその後すぐ来ることとなる。PM職は経たものの、ソフトウェア産業できちんとフルタイムで働くのは初めてで、特にデジタルツインの建築分野という全く自分の価値が出せるのかわからない場所に放り込まれた。本当に幸運なことに、Bossはそれを理解してくれてきちんと気にかけてくれていたが、自分の至らなさと、将来の不確実性からどんどん惨めに感じていき、バーンアウトしてしまっていた。Unity社が提供しているウェルネスサービスを使うも、結局本当の意味で分かってくれる人はいないと思い、根本的な解決策にはならなかった。けれども、年末に満身創痍で帰国し、(それも3日間の強制隔離&14日の隔離という絶望的なものであったが)、友人や愛する人と出会えたり、温泉で身を癒し、新年を迎えることで、復活することができた。
1月からまたベイエリアに戻ってきて、サバイブしていたものの、3月のReorg、4月のモントリオールOffsite、帰国からのコロナ感染、といった数々の試練を経るとともに、自分自身の英語における不甲斐なさを認識し、挙句の果てにはマーケット崩壊によるレイオフ危機、ということで再び7度目のバーンアウト仕掛けている。
こうして振り返ってくると、もはや幸せに生きていた時期を忘れてしまっている。常にバーンアウトと隣り合わせであり、本当に精神的にギリギリのレベルで戦ってきた5年間であった。ただ、ふとこうした状況を振り返り、共有する中で、果たしてこれが進むべき道なのかという疑問はある。
長期的なビジョンを掲げ、そこに挑むに当たって、短期的に苦しむまねばならない状況はあると思う。けれども、それが慢性化し、一方で長期的な成功があくまで一地点での高揚になる場合に、何の為に人生を賭しているのだろうと思う。もちろん現在の日本で現状に甘んじでリスクを取らない全ての人は間違っているとは思うが、こうして理想を掲げてUSに出て、苦しみ続けるのもまた違うとは思う。ここのバランスを取れればもちろん良いのだが、自分はどうやら不器用でそうした事が出来ないらしい。
今ままではUSで戦うのが当たり前、成功するまで挑み続ける、という姿勢であったが、ここまでバーンアウトが続くと命の危険性を感じてくる。とりあえず来週31になり、ある程度の休みを取れるとは思うが、考え方を改める時期に来ているのかもしれない。苦しみに殺されないようにしないと。