気づいたら遂に8月になっていた。6月は色々なところを移動してドタバタであったのに対し、この7月はあっという間であった。依然不確実な中、周りの環境の振れ幅が大きく、全く地に足が付いていない。

そんなわけでハワイ生活も1ヶ月が経過した訳だが、かなり精神的にもしんどくなってきている。やはり息抜きとしての社会交流がないし、時間的余裕があるといってもずっと機会を得ることを考え続けているしんどさはある。

向こう1週間はUnity CEOやLiteboxerのインタビューなど、大事なチャンスは巡ってきているものの、それに対する集中が出来なくなってきているのを感じている。多分今までこうした機会に準備してきた物の報われず、心自体が疲れ切ってきているからな気はする。こういう時にどうしたら良いのかは本当にわからない。全てを忘れて休めば良い、というアドバイスはよく受けるが、それはかなり難しい。確かに酒を飲んでZoomで昔の友人と話しているときは忘れられるが、今のコロナ禍で、特にどこもかしこも混んでいるワイキキでは時間を潰すこともストレスフルなのだ。

インターンの時も感じたが、それ以上に疲弊した精神状態で、水源のハワードロークの心境を味わっている。NYの銀行のビルのコンペの連絡を無職で待ち続ける心境。そしてそれが来たと思ったら、自分の意思を曲げねばならず、考え続けること全てを忘れてコネチカットの採掘場で働き始める場面。まさにそういう精神状態である。

僕はBerkeleyのMBAに合格して、ようやく人生の波が好転し始めたと感じた。日本での臨床医という全く自分に合わない環境から、ビジネス、そしてベイエリアというFeels rightする場所で、PMという目指すべき目標が出来た。卒後はその機会を得るために只管に考え、ネットワーキングやインターンを通して努力してきた。けれども、挑んでは道は拓けかける物の完全には拓けず、最後の最後でまたやり直しという物の繰り返しであった。MBA同級生は就活はストレスフルと言っていたが、なんだかんだ良いオファーを得て精神的にも安定して卒業していった。そういう雰囲気に呑まれて劣等コンプレックスに取り憑かれるのを避けるためにもハワイに籠ることを決意したが、その中でも精神的体力がすり減ってきており、何をする気も起きなくなってきている。日本では盛り上がっているオリンピックから力を得ることも出来ず、寝て起きてを繰り返す日々になりつつある。

そんな自分を内省し、何が間違っているのかを冷静に見つめるが、未だに原因ははっきりしない。MBA生活を振り返ってみても、何一つ後悔することはしていないし、コロナ禍に置いても取れるリスクは取ってきた気がする。もちろん飲食などで本当に困っている人はいるものの、周りの人達は順調に人生を進め、機会を得ていく中で、もう2年も負け続けて来るとどうしても心は折れてくる。

多分僕は一人での時間が長くても大丈夫なことから生来はメンタルが強いタイプで、自殺などもしようする遺伝要素はないはずである。けれども2年間人生が拓けず、また戻りたくなかった場所へ戻ってしまう恐怖は底知れない物である。どこかでこのネガティブなスパイラルを止める必要があると思っているが、その方法もわからない。流れがない時は流れが出て来るのを待つ、という姿勢を今までは取ってきたが、そろそろタイムリミットも近づいている。

今はこうして精神安定のために文章を書いて心を落ち着けるくらいしか出来ないのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です