京都に来ている。梅小路公園のスタバにてこの記事を書いている。

京都の雰囲気は好きだ。何故か定期的に来たくなる。今回は奈良も一緒に行ったのだが、京都の方が好きだ。両者とも歴史や文化は素晴らしいが、京都の気品とAuthenticityは魅了するものがある。奈良はどちらかというと鎌倉に近く、質実剛健感がある。

2月に転職して依頼、数多くのことに忙殺されていた。今も精神的・体力的に限界に近づきつつある。オンボーディングも大変である中、出社義務であることを駆使して様々な人とランチに行き、飲みに行き、1on1をこなした。将来的に経営者になるにあたって多くの人がどう言ったことを考えているのか知りたかったのもあり、リモート時代に人との関わりがなかった反動かもしれない。また、AI時代に取りに行けない情報を取っておきたいという気持ちもあったかもしれない。

色々なことを考える。もちろんAIの暴力的な進化に伴う今後の未来も考える。特に一歩先を読むことについてよく考える。いろいろ経験してきて、ビジネスにおいて最も大切なのはタイミングであり、一歩先を読み行動することだと感じた。僕は今まで10年スパンで物事を読むことが多かったが、改めてXRにおける失敗は僕の中に大きく楔として突き刺さっている。USのMBAに行き、PMとしてベイエリアで働けたことは自分の中で貴重な体験ではあったものの、事実として自分はXRが来るという未来を読み誤り、それによりUSで職を失い、日本でもゼロから再起することになった。それくらい大きくXRというものを待ち望み、賭け、戦ってきたが、10年いや15年早かった。今の現時点において出せる価値は薄く、モメンタムがなかった。一方でそれが故に10年先の未来を考え、形にすることを行なってきたがゆえに、2,3年という一歩先を読むことに慣れていない自分にも悶々とするところがある。

自分自身、今までかなりの時間を本質思考に費やし、決まってから行動するというスタイルで動いてきた。それが故に、大枠のタイミングを外した際のダメージは大きかった。今まで築いてきたロジックや読みが全て崩れ落ち、フレキシブルな対応ができなかった。もしそれができていれば今頃ベイエリアでPMとして別企業などで上手くやっていただろう。まあ一方でその前に日本で医療ベンチャーとかやっていた説もあるが。

今の企業に移り、色々と人と会うことをやっていく中で、塞翁が馬という言葉も考えるようになった。仮説が当たっても外れても、逆のことが起こるかもしれないので気をつけるように、ということで、上手く行っても一寸先は闇、下手こいても実はそれが好機になる、みたいなことわざだ。近畿大学の卒業式のスピーチで山中伸弥さんがこの言葉を挙げてから、頭に引っかかっていたのだが、人生は塞翁が馬(人間万事塞翁が馬)の要素はかなりある。短期的なことでも、うわーミスったということが、実はそっちの方が良かったじゃん、ということが良くあるのだ。なので、起こった出来事をすぐに評価して一喜一憂しないようにしたいとは思っている。ただ、自分自身その前の思考で大きくリソースをかけるため、外れた時の精神的ダメージが結構大きい。

AI時代になり、間違いなくそうした事前の思考は時間をかけなくて良くなる。そうした中でいかに行動に移すことができるか、また行動の一貫性と折り合いをつけるか。自分のスタイルを変えていく中で悩んでいる課題でもある。難しい。

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