最近またメンタルが不安定になって来ている。というかボラティリティーが高い。人生報われたと思う時もあれば、未来に関して何の希望も無くなる時もある。それが短期間で来る事があって、しんどい。
これは、直感とか小難しい話じゃなくて、単純に「所属」の欲求の不足なのではないかと思い始めた。
僕は比較的個人主義者なので、自分の頭で考える事を好んできた。そして、一人になる事を特に厭わなかった。けれども、こうして4月に辞めてから半年も経つと、流石に「所属」していないことに対して、辛さを感じるようになって来た。「所属」しなくてもやって行ける程、強い後ろ盾がないというのもあるのかもしれない。
「所属」はマズローの五段階欲求の3段階目に位置している。生理的欲求、安全の欲求、所属の欲求、社会的承認欲求、自己実現の欲求である。マズローが述べたように、高次の欲求の実現のためには、低次の欲求の実現も避けては通れない。生理的、安全の欲求は日本であることから担保されており、社会的承認欲求も達観したという自覚があった。けれども、「所属」という盲点があった。
「所属」する方法はいくつかある。就職、留学、起業することなどだ。僕は割と、全部に関して満遍なく手を打って来た気はする。けれども、結局自分のエゴ、こだわりの強さの為にリジェクトされてしまった。
こうした時はとても辛い。そうした時に、リジェクトの神様であるジャックマーのスピーチを良く聞くのであるが、彼は「教師」というある意味「所属」がしっかりとあった事が、「拒絶」を乗り越える糧になったのではないだろうかと思ったりする。また、「結婚」も大きな「所属」であると思っている。
オプラ・ウィンフリーが言うように、この苦しさを“What is this here to teach me ?”と言う点で捉えるとすると、「所属」の大切さに尽きると思う。僕は自由主義者だし、個人主義者だが、自分一人で生きて行ける程強くないのだ。それが故に最近は、就職や留学などに対して以前ほど楽観的に見れなくなって来ている。GoogleのAPMMに再アプライし、MITのMBA受験を検討し始めた。
うーむ。