僕が日記を書きたくなる時というのは、抽象の世界で生きている時だ。
抽象的なビジョンがはっきりと見えたり、それについて考えている時に言葉にしたくなる。
今は、実はあまり文章を書きたい時ではないのだ。というより、あまり筆が乗らないのだ、逆説的だが。
それでも前回から時間が経ってしまったし、色々とやっていることがアップデートされたので、書いておこうかと思った。今は正直、具体の中で生きている(けど意外とそんなに苦しくはない)ので、いつもとは異なって文章に少し違いが出てくる気がする。
まず、Stanfordに落ちた。これで3連敗である。Biodesign2017/8月-GSB2018/4月-GSB2018/11月。直感的に惹かれているものに拒絶される経験は辛い。恋愛もそうである。魅力的だと思った人に拒絶される事が続いている。
ここ1年の流れなのかもしれない。医者を辞めて自由にはなったが、これをやりたいと目標を立てて挑戦したことは基本的に失敗している。留学、就職、恋愛、投資などだ。それはとても応えることだ。
志高くとはいうが、やはり目標設定は低い方が幸せとの関連性は高い。
それでも唯一救われているのは、なんとか次の興味や選択肢が首の皮一枚繋がってくる(と勝手に思っている)ことだ。
Googleやベイエリアでインターンをしようとして失敗したけれども、今はEnhanceなどの選択肢が辛うじて残っている。恋愛もダメになっても次の挑戦への選択肢は出てきた(今はない)。投資も、ZOZOやTeslaで死んだと思ったが、辛うじてギリギリで持ち直した。本当にギリギリで生きているなと思ったりする。
今がしんどいとは言いたくないが、しんどさは二つに分けられると思う。まあ論理的に見つめたところで解決するわけではないのだが。
一つ目は、やはりリスクを取った挑戦が中々報われないということ。勿論リスクを取った即ち報われるべきではないとは思うが、人と違う道を行くというのは大変な作業である。何より道が見えない。その中で手探りでかつ孤独で暗闇を進んでいくのだ。何か一つでも形になり、大きな自信をつける様な事があれば、その精神的ストレスを癒してくれるとも思っている。
二つ目は、次の選択肢がなくなる事だ。僕は挑戦する事が好きだ。これは綺麗事でもなんでもなくて、多分結構本質的にはリスクテイカーなんだと思う。合理的に考え尽くして、最後でもういいやと思ってオールインする感覚がとても好きだ。けれども、こうした挑戦、オールインは中々できるものでもない。やはり、リソースが必要なのだ。勿論留学だったら、そのための準備金。恋愛であれば、出会いのリソース。投資なら現金。
けれども、今現在の負け具合によりどんどんリソースが減っているのではないかという心配がある。当たり前だが、出会いは限られる。勿論働いていないので、忘年会やクリスマスパーティーなどの予定もない。お金に関しても、器具やアプリ開発で多くの金額を使ってしまった。感性を磨くためにワインも多く飲んだ。自分なりの投資で長期的には報われると信じているが、短期的にはバスト寸前である。そりゃそうだ、働いていないのだから。働くということは二面性が有って、致命的なのは自由が少なく、リスクが取りづらいので挑戦が難しいということ。けれども良い点としては安定的なリソースの供給であるとは思った。
当初(30分前に書き始めた時)は具体的なことを書こうと思ったが、結果的に抽象的な話になってしまった。
やれやれ。まあこれが僕のスタイルなのなら仕方がない。It can’t be helped.
マインズタワースタバにて