来週からテキサスに行こうと思っていたが、Winter stormが直撃していくのを直前で取りやめることになった。一面雪で覆われているテキサスはそれはそれで珍しいものではあるが、特にもともと住んでいたわけでもないし、ただでさえコロナで外に出れないのに、わざわざ内に篭りにいく必要もないと思ったからだ。テキサスの空気を楽しみながら、Hyattで一人深く考える時間を取ろうと思ったが、それも叶わずバークレーでのルームメート2人との滞在を続けることになってしまった。
今日は「20代であること」について書きたいと思う。20代であることは、ある種僕の中の「救い」となってきていた。正直今の生活は、言語も違うし、明らかに直線的でないゴールを追い求めているし、コロナで身体性も失われているし、端的に言って苦しいものである。というか高校2年あたりでステージ班に入ったあたりから、周りとの距離を感じ始め、「自分のやりたいこと」と現実とのギャップに悩まされてきた十数年間であった。けれども、そうした現実と理想の差の中でも「20代であること」は僕に取って言い訳の安らぎを与えてくれるものとなってきた。20代だから苦しめる、20代だから苦しい道を選べる、20代だから惨めでいられる、といったことだ。
なんだろう、20代というものは僕に取って若さの象徴であり、合理的な正しさや社会の評価といった「大人の世界」に入る前のモラトリアムが与えられている最後の時だという認識があるのだ。30代になると、どうしても目に見える成果や合理性を持って戦わないと社会に受け入れてもらえない+周りの成功や幸せも可視化されてきて、自分の中の感覚だけでは前に進めない直感がある。
人生は長い。平均寿命は日本人男性は80歳ほどで、僕もそれに則るとこれから50年は生きるはずだ。けれども、その中で自分の人生を作り出せる時は限られている。もちろん「人生はいつの時からもやり直せる」という言葉は耳障りが良いが、40を超えてリスクを張るのは難しいし、尚更テクノロジーにより加速した現代はさらにそれが難しくなっている。そうしたことに気付いていたからこそ、僕は20代のうちに自分なりにだが、色々なことを経験し、国家試験は3ヶ月前から準備し、医師をやめてニートをし、3校だけMBA出願するといったリスクも取ってきた。
こうした感覚が30歳になるとどうなるのだろうか、とふと考えることが多い。正直別に毎日のように「20代で若くてよかったー」と思っているわけではなく、日々の現実にやられて苦しくなった時に、「まだ20代だった、大丈夫人生は長い」と思うことがあるだけだ。それなので、3ヶ月後に気がついたら30歳になっていて、「全然なんも変わらんよw」と思うのかもしれないし、「もう30歳になったのだから、しっかりと社会的になろう」と思うのかもしれない。
ただ、僕に取っての20代は相当長く濃密なものであったことは確かなことだろう。達成感と苦しみでは2:8または1.5:8.5くらいという感じだろうか。医学部に入って、文明塾に入り、彼女もできて、ダブルダッチで世界大会へ行くも自分の進むべき道を探し続け、デザインスクールへ通って、国家試験に受かって研修医をやるも休職し、エジプトやブルゴーニュへ旅に出て、MBA受験をしてBerkelelyに留学したものの、コロナがヒットしてハワイで秋を過ごして日本に帰り、Microsoftで働いてまたカリフォルニアに戻ってきている。酸いも甘いもあったが(繰り返しになるが、こう書くと充実した人生に思えるが、酸いの方が8-9割なのだ)、ある種夢のような20代であった。(良くも悪くも)
20代、人生の危機に振り回されながらも、なんとか次に歩を進めることができたことに感謝している。正直な話、上のようなめちゃくちゃなレールのない人生はそろそろ疲れてきている苦笑 30代はもう少し落ち着いて右肩上がりに苦しみと楽しみが半々くらいの人生を歩んでいけたらなと思っている。
どうなることやら